杉田修一

杉田 クラフト作家の小黒三郎さん(登り人形を広めた作家)がご近所にいるんだけど、昨年初めて面と向かって話す機会があって「世界中でいろんな木工の作品を見てきたけど、杉田さんのピボットのようなスタイルは、どこを探してもない」と言ってくれて本当にうれしかったのを覚えています。

—生き物たちを唐木で表現するピボット作品とは別に、倉敷の街並みを透明水彩で描かれる一方、イコン画・テンペラ画も手がけられて、作風や扱われる素材が多岐に渡りますよね。ご自身のなかで、メインの技法はありますか。

杉田 本来は作家として東京に居て自分の世界を淡々とこなしていたら、イコン作家として認めてもらう自信もあったけどそういう自分をあきらめたからね。倉敷に戻って、地方作家として是が非でも生き延びようとしてね。自分の手で、自分の世界のモノを作って、買ってもらって生きていくと腹を決めたから。でも、あきらめた世界もあるけど、割いている時間を別にしたら、少し遠ざかっているテンペラ画ももっと描かないとなっていう思いもあるよ。

—あきらめたり、受容することとが、ちょっとずつ大人になっていくことかなと個人的には思いますが。

杉田 60歳になったときに、リタイアした知人の何気なく 言ったことで、やり取りがあってね。「杉田は良いよな。作品や名前が残るでしょ。俺らは何も残んないよ。書類を確認して、はんこ押して、ちょこっと書いて……云々。それが宝物になるか。何も残らないでしょ」って言うものだから「ダビンチにミケランジェロ、名を残した作家もいれば、当時のフィレンツェの街に、ルネサンスの時代にどれだけの作家がいたことか。ほとんど残れずなわけで、俺とお前の立場は変わらないよ」と。そこからは、残る云々より、自分がどれだけやりきったかという幸福論に行き着くよね。 幸い自分は高校のときに好きな道に出会って、それに向かってやることをやってきたっていう自負はある。好きな分野で自分が目標を決めてどれだけ達成できるか、人からの評価を気にしすぎず、悔しい思いをしながらも、自分がどう納得出来るか。どうせする苦労なら、自分の好きな世界でやったほうが頑張れるよね。他人に決められて人に疲れてで生きるなんて僕にはムリ。第一、体に悪いよね。僕は、生涯現役で楽しんでいきます。(岡山県倉敷市にある杉田修一のアトリエにて)

ムツゴロウ(唐木)

[略歴]
杉田修一(すぎた しゅういち)
1953 倉敷にて生まれる
1975 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業
1987 倉敷に帰郷 自宅にて絵画教室を開設
1994 第11回ハンズ大賞入選
1997 年賀状、岡山県内版に水彩画「岡山城」が採用される
1999 ふるさと切手の原画に採用される