小山亨


ラ・フォレスタ スタッフ 中村 振り返ってみると、直感的で私心のない方でした。作られる作品にも迷いがなくて。対人関係でも、初対面でもスッと受け容れられる方には、ガード無く接していた方でした。私がこのラ・フォレスタに勤め出したのは4年前からですので、お付き合い出来たのもそれ以降なのですが、小山さんはもっと前からこちらの工房にいらっしゃいました。短い期間のお付き合いでしたが、うまくはいえないのですが、自分の気持ちを大事にされていた方、という印象です。

ーモチベーションを整えて、仕事をされていたということでしょうか。

中村 そうだと思います。ご自宅は河内長野市なのですが、ここまで車で来られる通勤ルートが山に分け入っていくような感じなんです。国道から逸れて、緑の木のトンネルを抜けて工房に着いて。晩年で印象に残っているのが「以前は頭の中から離れない心配ごともあったりしたけど、ここに来て朝の空を眺めて、今日もここで仕事ができるんやと、そう思うだけでうれしい」と仰っていました。晩年はそんな気持ちで工房におられたようです。

ー小山さんは、渡米して木工家・ジェームズ・クレノフに師事されたとうかがいました。

中村 小山さんとクレノフとの関係ですが、クレノフが著した『木の家具ー制作おぼえがき』(中井書店・2008)を翻訳した三ツ橋修平さん(クレノフの学校で小山さんと一緒に学んだ)のお手紙にこうありました。「小山さんは、事情があったためクレノフの学校に彼の本を読まずに入学した唯一の教え子であったのに、他の生徒には気難しいクレノフが彼とは心をゆるした付き合いをしておられました。クレノフとは予備知識をもたずともわかりあえていたようです」と。私見と想像ですが、小山先生は技術的なもの以上に「木目の美しさの生かし方」の感覚をクレノフと共有することによって学ばれたのではないでしょうか。作品を見ているとそう思います。カリフォルニアでのクレノフとの幸せな時間と体験が核としてあったので、フォレスタの木工教室でも、その感覚を醸し出されていたようです。教室の生徒さんの話ですが、厳しいところもあったけど、単に指導を鵜呑みにするのではなくて、自分の頭で考えてデザインすることをいつも促されていたようです。裏表のない方でした。自分の作品については饒舌に説明されることもなく、売り込むことも苦手だったと思います。ただ、生き方は曲げられずに清々しく全うされたのではないかと、私は思います。  

ラ・フォレスタ工房作家 小山亨さんは2018年3月24日に逝去されました。 ご冥福をお祈り申し上げます。  

(売約済)キャビネット(ブビンガ・ウォルナット)

[略歴]
小山亨
1986 長野県にて木工の基礎を学ぶ
1989 California College of the Redwood ジェームズ・クレノフ の元で学ぶ
1991 大阪インテリア 末包茂樹一級建築士事務所にて活動
1996 河内長野市にて木工房K Factory開設
1999 千早赤阪村に工房を移転

ラ・フォレスタ(南河内林業総合センター)  〒585-0055 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪1238-5 電話番号:0721-72-0090 営業時間:11:00~17:00 定休日 :月曜~木曜 駐車場 :あり http://www.sinrin.org/foresta/