林孝彦

—林孝彦さんのアトリエがある埼玉県日高市に来ました。アトリエ最寄りの駅名ですが、高麗と書いて「こま」と読むのですね。

林 奈良時代に大和朝廷が朝鮮半島の高句麗から日本に逃げてきた王族たちのために高麗郡をここに作ったようです。数年前には、建郡1300年記念の事業もありました。私は今の場所に住んで18年、それまでは同じ市内の別の場所に10年住んでいました。

—今回は、個展タイトルに「the sound of lines(ザ・サウンド・オブ・ラインズ)」と名付けられています。

林 以前は「風」をテーマにしたタイトルを付けていました。今読んでいる本の影響もあって、少し哲学的な話題になりますが……今の時代ですと「ライン」という言葉は、スマートフォンのアプリケーション名にもなって隆盛していますが、「つながり」という意味合いが強いです。ものにオリジナリティがあるということでよりも、つながりがあることによって生命が吹き込まれる、そういう時代にあるので「風」という言葉で作品発表するよりも、わかりやすいのではないかと思ってこの個展名にしました。今年の東京での個展も「line(ライン)」という言葉が入る予定です。

—デバイスやテクノロジーとの距離の取り方で気をつけていることはありますか。

林 作品制作後は、次の日にはウェブ上にアップロードしています。アトリエにある全ての作品は未発表作品も含めて画質は落としていますが公開しています。「芸術だから」「オリジナルだから」と周囲が尊敬して、それに美術家たちが安住していた時代もありましたが、今は色々なものとの垣根が無くなってきて、美術も数あるエンタメの一つにすぎないとう風潮にあります。ですので、きちっとした画集があって、額に入ってないといけない、個展は新作でないといけない、既成の在り方にこだわりすぎてしまうと、誰ともつながらなくなってしまいます。あまりに拘泥するより、タンブラー(https://www.tumblr.com/)などのSNSで発信して、素材であれ、まずつながりの始まりは何かにレイアウトされることで構わないと思っています。到底そのようなかかわり方だけで飯を食うレベルには達しませんが、誰かに使われることによって、次第に何かの線につながってきます。

—お若い頃の話題ですが、何人かの作家から、林さんは20代のころ、作品を持って全国の画廊巡りをしていたと聞いています。

林 青春18切符を使って背中には作品背負って、野宿をしながら画廊を巡りました。作家仲間には「林の若い頃のような売り込みや営業は出来ない」なんて言われたりもしましたが、自分としては大学の4年間の学費は出してもらったので、大学院は自分で作った「授業料」を背負って売ってなんとかして学費を捻出する必要がありました。ですので、当時の自分としては、そのときやらないといけないことを、できることを自己責任でもってやっていただけです。その頃からや芸術の特殊性という考えは好きじゃありませんでした。

ー芸術の特殊性が好きではないとは、どういうことでしょうか?

林 あくまでステレオタイプな例えですが、絵を描く人というと、生活がめちゃくちゃでも、パトロン的な養ってくれる人がいて、好きに絵を描いて生きていて、そういうあり方が好きじゃありませんでした。実際、そういう特別を自他ともに語る人たちがおります。ですが、僕らが生まれた民主的な土壌のもと、生まれや育ちじゃなくても絵描きが出来るんだ、という気風が自分の核にはあります。特殊性について、他の仕事は飯を食う為の仕事で、これは芸術だからと区別して制作をするという考えはとりません。芸術活動だからと、特別な予算をもらったり、何かの枠組みに頼ったり……そういった風潮が自分は嫌でした。誰にも頼らないために自立するには、まず今ある場所できっちり仕事をする必要がありました。今ある場所で自立出来ないと、どこでも自立出来ないと思います。自分としては、日本中の美術館に画廊、美術大学が無くなっても、絵描きとしてやっていく気概はあります。

ーそういった自立的・行動的なエピソードも強いのかもしれませんが、作品からは「風」「拡散」そういったイメージが思い浮かびます。

林 絵柄が描けなくなったということです。神様を描こうとすることは、どこかおこがましいことに近いような……。何かを具象的に描くと、自分で勝手にフレームを与えることになってしまいます。そうでない!と願うほど、なにもかもモノでなくなって、次第に風や線がテーマになってきました。顔を描くと「こういう顔が美人で」「気難しくて、変な顔をしているのが今の流行りで」……自分はそういう流行からモチーフを外したい意識があります。

—だから、発散、発生するようなモチーフにつながるということでしょうか。

林 むしろ発生する場面が多いですね。宇宙的であったり、植物的であったり。

—植物的なインスピレーションというのは、ご自宅の菜園と関係は?

林 それは年々かなり強まってきました(笑)。絵を描いているより、草取りをしているときの方が無心で幸せですね。元々、土いじりが好きでした。自分の絵は、対社会的なアピールが強いのですが……草取りはそういう社会性が無くて純粋に幸せです。作品を自分で大事にしておく、これは売りたくない、そういう意識はありません。自分の場合は、作品は自分のためには制作していません。社会に対して、自分の考えを出すための方便として作品があります。絵が介在することによって、意味を成す仕事としているので、作品はアトリエに置きっぱなしにしておくべきものではないです。制作行為は自分のためですが、出来上がったものはそうではないですね。その感覚は、子育てや子どもの存在もそうだと思います。家や近くに置いておくのではなくて、自分がいなくても自立して飛び出ていくものというのかな。作品や子孫も何事も、正当さに差別はありえなくて、今生きているということは、記録があるにしろないにしろ、歴史をたどれば全ての人間はつながると思います。この一族は由緒正しくて、あの一族はそうでなくて、栄えていて没落して、身内には成功者がいて犯罪者がいて、そういった区別も好きじゃないのですが、たどっていけばどこか同じ線で生きてきたから、今生きている私たちがいるのだと思います。そういう部分で私はつながりたいです。

 

D-12.Jun.2018(ペン画・雁皮紙にアクリル顔料絵具/2018年  42 ㎝ × 28 ㎝)

[略歴]
林 孝彦(はやし たかひこ)
1961 岐阜県に生まれる 東京芸術大学大学院にて学ぶ
1986 第54回日本版画協会展・協会賞
1987 第3回西武美術館版画大賞展・優秀賞、東京芸術大学大学院修了
1989 第19回現代日本美術展・東京都美術館賞
1990 現代の版画1990(渋谷区立松濤美術館)
1992 第21回現代日本美術展・ブリヂストン美術館賞
1994 シガ・アニュアル’94版の宇宙(滋賀県立近代美術館)
1997 現代日本美術の動勢・版/写すこと/の試み(富山県立近代美術館)、文化庁買上優秀美術作品披露展(日本芸術院会館)
1999 生の視線/創造の現場(武蔵野美術大学美術資料図書館)
2001 press「版画再考」展(5.28-6.16 文房堂ギャラリー・神田神保町)、個展「I walk 2001」(6.4-6.16 ギャルリー東京ユマニテ・京橋)、第46回CWAJ現代版画展(東京アメリカンクラブ・神谷町)
2010より毎年、全国画廊・有志版画家と協力して、人気版画家のクリスマス限定版画を安価で求めることができるリトルクリスマス展を企画、開催。