真鍋井蛙

—2016年11月末、新年の個展に向けて、打ち合わせも兼ねて篆刻家・真鍋井蛙先生がヒロ画廊に来場されました。真鍋先生は作家活動30年以上、ヒロ画廊で展示をしていただき15年目、画廊店主の廣畑政也(以下、「ヒロ」)は、画商として30年、独立・開廊し2017年で20年を数えます。なにかと節目の年を迎えるお二人の対談をまとめました。

真鍋  最近、虫に喰われた古い経典の裏に「なむ」という文字を書いてみました。額屋さんに「拝みたくなるような額装にできませんか?」と頼むと「そんな抽象的に言われても困る」と怒られましたね(笑)。

ヒロ それなら、先生が普段作られている印譜もアクリルの額にはめてモダンな感じに仕上げるのもいいかもしれませんね。

真鍋 良いですね。ほかには、ヒロさんに薦められた錆びた鉄で額装をしてみましたが…あれは重いですわ。

ヒロ 重いです(笑)。鉄でなくても銅板や緑青を吹いた薄い鉄なんかでも良いかもしれませんね。銅板でしたら、ホームセンターなんかでも買 えますしね。あとは、銅を下地に酸で文字を書いても面白いかもしれま せん。

真鍋 なるほど、酸で書いたところだけが腐食されて。

ヒロ 銅版画家たちは口をそろえて「後片付けが大変だ」と言っていますがね。希硝酸が劇薬で、産業廃棄物になってしまうので。

真鍋 書くとなったら、筆をひとつボツにするつもりでとなりますね。 知り合いの理科の先生に聞いてみよう……。最近新しいことをしようという意欲がとても強くなりました。ヒロさんに鹿革をすすめられたのもその意欲からでしょうか。また色々とトライしてみたくなってきました。

篆刻家 真鍋井蛙

真鍋 書を持つということは、その人と関わることだと最近よく思います。書の練習や手本の延長で買ったり持っても仕方ないなと思い始めてきました…掛けていても全く楽しくないのですね。感動しない。どれも同じに見えて、埋もれてしまうのでしょうね。最近、アウトサイダー的なものに自分も憧れるようになりました。

ヒロ 「人が見えてこない」ということですか?

真鍋 そうなんです!その作家のことを知らなくても「人が見えてこない」といかんと思うのです。

ヒロ まさに先生と熊谷守一作品の出会いがそうですよね。エッセイで残されている、京都の路地裏の骨董屋さんで衝撃的に出会ったという。

真鍋 それまで、熊谷は全然知らない人でしたもん。

ヒロ そういう作品との出会いの感動は普遍的なものだと思うんですよね。その作品をどこに持って行っても、似たような感情や感激を持ってくれる人が現れてくれるというか。

ヒロ画廊 店主 廣畑政也

真鍋 そうなんですよね。

ヒロ ヒロ画廊で展示をしていただいている県外の作家とよく話します。画廊のある橋本市は人口6万人ほどの街です。その規模の街で、まず見ず知らずのおひとりにコレクションされるのが大事だと。それを全国規模に拡大すれば……。

真鍋 単純計算すれば、ということですね。

ヒロ 受け容れていく人や場所が増えていって、拡がりが見えてきて…作家活動というのはそのように広げていくものだと思います。

真鍋 作品を飾ってもらえるという点で……先日、京都で陶芸家の小林東五さんと対談をしました。そのなかで「個性というのは一生懸命に出そうと思わなくても勝手に出てくるものだ。出てこない人はやめたほうがいい」という点で話が合いました。

ヒロ 集中して作家活動をされるなかで醸成されるものは確かにあるでしょうね。

ー先生はおいくつから、いわゆる「作家」なのでしょうか?日展の初入選が33歳でしたね。

真鍋 その辺りから作家意識は確かに芽生えました。入選するまでは日展に入りたくてたまりませんでした。生まれたときから作家だった、とも思いますね。

ヒロ 画廊で関わりのある方ですと、退職されてから時間が出来て、誰かに師事されて、60歳から思うように絵を描くという人もいますね。それまでも地方の団体展で実績を積み重ねられていたりしますし。

真鍋 作家意識……自分の場合は薄いかもしれません。そもそも作家って何だろうとはいつも思います。我々のジャンルで作家と名乗って活動している人はどれだけいるだろう。僕なんかですと好きで作っているという意識がかなり強いです。

ヒロ このまえ画廊で個展をした鉄作家は作家活動だけで食べられず、鉄工所のアルバイトなどで生計を立てていました。「自分は食べられないときもあったけど、大学や学校の先生をしつつ作家活動をしている人とは、全然違う」とはっきりと一線を画していました。ぼくは、両方ともどう発想していくかが大事だと思っている。作家が好きなことをやって、作品を創りだしていって、世間が評価することが大事なんだとおもう。

真鍋 ぼくもそう思うんですよね。

ヒロ 家族が居れば問題は別ですが。けど、家族が支える場合もあり ます。山岳画家・畦地梅太郎の個展を過去に企画して、娘さんにお話しを聞く機会がありました。「うちの父が作家で食べられるようになったのは80歳からでした」と仰ってました。その後彼は96歳で亡くなるまで絵を描き続けましたね。

真鍋 「作家の定義」という話になりますね。僕の場合だと、ものをつくるのが好きだった、シンプルに。 高校の卒業文集に「俺は書家になるぞ」と書いてあるんですね。その頃は書家や作家もどういうものかわからなくて、自分は習字がうまいと思っていたからそう書いただけと思うのですが。やはり、この世界に入ってみるといろいろなものがありますし、書が芸術かといわれてみれば、僕自身芸術の定義もはっきりわかりませんから。書は教育のなかにある、文字の伝達手段だ、という意見もありますしね。

ヒロ 自分が一番かかわりの長い画家でイギリスのグラハム・クラークという作家がいます。今も75歳で健在ですが、彼は5歳のときに既に作家を意識していたと言ってました。

真鍋 5歳ですか。

ヒロ はい。作家になろうと思ったら何をしないといけないかと考える と、絵を描くのはもちろん好きだっ たし、次に歴史を学ばないといけない。学んだことが「ヒストリーオブイングランド」というシリーズとしてエリザベス女王にコレクションされ、サッチャー夫人や故寛仁親王もコレクターでした。彼は日本でもものすごい数の作品がコレクションされています。

真鍋 アートを買うこと。これ、ヒロさんや骨董商の方とよくお話しします。書道の場合、海外の方には、井上有一、森田子龍といった世界に通用する、ハートに響くものでないと求められていないと感じています。あとは白隠慧鶴の迫力なんかも彼らには響いていますね。

ヒロ 作品から発しているエネルギーに反応しているのでしょうね。

真鍋 たぶん、そうなんですよね。

ヒロ 先のイギリスの作家は自分の作風を「ベリースペシャルワンパターン」と言ってます(笑)。

真鍋 ははは(笑)。

ヒロ 毎回の展示では似たような作品がずらーっと並ぶのですが、よくよく細かい点を見ると密度も濃くなっていたり、色使いや描き込みも洗練されていっているんですよね。

真鍋 さきほどのコレクションの話になりますが…作家のなかでコレクションをする人っていうのは、自分のなか(作風)に取り入れる人と単にコレクションされる人の二パターンですね。たとえば、出光佐三は仙厓義梵をコレクションをした。佐三はものをつくらない。わたしは言わば作家だけど、その血や肉となるものを取り入れ続けていきたいですね。

ヒロ 言わばって(笑)。取り入れるという話ですと、ある人がピカソのアトリエを訪ねるとモジリアーニやブラックの作品があったそうです。

真鍋 ピカソがコレクションしていたのですか?

ヒロ ちがうんです。ピカソが模写して自分に取り込んでいたんですね。高いレベルの話になりますと、画廊で展示をしていただいている作家に、東京芸術大学卒の方も何人かいらっ しゃいます。彼らのレベルで実績を積まれると、自分の分野だと技術的になんでも出来てしまう。東京芸大がすべてだとは思わないですけど、最終的に自分の限界を越えたカラーを築き上げるには他の作家の色を取り込む作業が必要なように思いますね。

真鍋 ヒロさんの仕事ですと、この絵(変形40号・左写真の緑の作品)だと大きいお家に納めたい、という気持ちもあるのですか?

ヒロ そういうのは、個展を企画したときに、自然と作品がどのお客さまに納まるか決まっているような気がします。

真鍋 企画したときに?

ヒロ ええ、最終的に自分が「この作家、良いですよ」とお客さんに自信を持って話せる作家しか企画しませんので。逆に、作風が良いと思っても、作家との折りが合わない場合もありますね。展示をしても一回きりという場合もあります。現在展示中の版画作家も30年前から知っていました。それが時間を経つにつれ、画廊とつながることもありますね。

 

關山陣陣蒼(7.3 x 7.4 cm 2018 改組 新 日展第5回日展 第5科 書 特選受賞作品)

[略歴]
真鍋 井蛙(まなべ せいあ)
1955(昭和30)年、香川県生まれ。
奈良教育大学で、篆刻界の第一人者・梅舒適氏に出会い師事。
現在、日本篆刻家協会副理事長、読売書法会理事、日展会友、
日本書芸院理事、中国西泠印社名誉社員。

[著書]
『ほれば印です』(芸術新聞社)、『超かんたん篆刻』(同)、
『来楚生篆刻秘法』(二玄社)、『篆刻般若心経』(三圭社)、
『はじめての篆刻入門』(淡交社)、『もうひとりの熊谷守一』(里文出版)など。