竹久夢二展 春風浪漫

2023年3月18日[]— 4月9日[]11:00am -6:00pm

●休廊 水曜・木曜(3/22・3/23・3/29・3/30・4/5・4/6)

明治17年、岡山県の南東、邑久郡本庄村(現、瀬戸内市)に生まれる。

本名は竹久茂次郎。父・菊蔵は造り酒屋を営む。子供の頃より絵を描くことを好む。

神戸中学に進み、異文化に魅かれる。しかし、実家の都合で中退、一家で福岡に転居。

18歳の夏に、家出して上京。早稲田実業学校に入学。キリスト教者や幸徳秋水ら社会主義者と交わる。

22歳の時に「中学世界」に投稿した「筒井筒」が一等入選。初めて「夢二」と署名する。画業に専念するため早稲田実業学校を中退。投稿を続けながらも、翌年には早稲田鶴巻町で絵ハガキ店を開いた未亡人、岸たまきと出会い、結ばれる。彼女をモデルとした「夢二式美人画」を描き、人気作家の仲間入りを果たす。

2年後に離婚。31歳の時にたまきと子供達の生活費のために、日本橋に「港屋」を開店。笠井彦乃と出会い、後に結ばれるも、彦乃は6年後に病死。

38歳の時にモデルとして現れた、お葉と所帯を持ち、時代を代表する画家として活躍。しかし、昭和にはいると人気にも翳りがみえはじめ、心機一転、昭和6年に渡米。夢にまでみたアメリカでの滞在は世界恐慌のあおりで苦難続き。

ヨーロッパに渡るも、世情は安定しておらず、更なる苦難続きで、昭和8年に失意と病を得ての帰国。昭和9年、長野県の富士見高原療養所で「ありがとう」を最後の言葉に51歳で永眠。