河野甲・コウノシゲコ

—今回滋子さんの作風は、(2年前の二人展から)強い変化を感じました。「人形の世界から現代美術の世界へ」ということになるのでしょうか。

滋子 6年前に無縁だった現代美術との出会いがあり、そしてその世界に惹かれ、以前の作品の流れとは違う作品となっているかもしれません。コンセプトが大切にされる現代美術において、何を表現したいのか、深く考えるようになりました。私が常に感じていることの中に(生き辛さを抱えて生きている人たち)というのがあります。身体や精神に障害をもって生きている人々です。けれど、だからこそ普通の人々には見えない素晴らしい世界が、覗き得ると信じてます。常識に縛られず本当の自分が分かれば楽になれる。今回のヒロ画廊での展示の全体コンセプトは「僕は本当は魚だったんだ」です。やはり生き辛さから自分らしさを取り戻す希望のメッセ-ジです。作品の技法は以前と同じで、作風は足し算から引き算ですね。

甲  妻の場合、心の苦しい部分も表現のベースになっています。そういう心の葛藤の中から生まれた最近の表現というのは、ちょっと飾って日常を楽しみたいというお茶の間的な美意識からすると、すこし重たいかもしれません。

滋子 目線を変えれば、その人らしく生きられる世界がある。世間の常識に縛られず…ということを今は考えているし、自分もそういう風にしていきたい。60歳だけれど、これからもそうしていきたい。

甲  彼女の場合、制作への取り組み方は、作品が売れる売れないという事からは解放されたように思います。ただ、この世の中で生きていくためにはどうしてもお金が必要ですよね。私には作品を売るという活動の中で、自己表現も曲げたくないというジレンマが当然ある。でも妻の場合は心の病を抱えていて、かなり生きづらく日々を送っています。なので、(なぜ、そのコンセプトの作品なのかという)必然性は出来るだけ全うした方が良いのではないか、という話は普段からします。その点僕は、現実にお金を生み出すというところで、世間が何を欲しているかというところはかなり考慮して仕事をしています。

—以前、甲さんとお会いした際「作品制作は納期などもあるから仕事としての意識がかなり強く、趣味のカタツムリ採集は純粋に幸せを感じる」というお話しが印象に残っています。

甲  いくら好きな事でも、生業にすると楽しいだけではなくなりますね。注文をいただくというのは本当にありがたいですが。

滋子 私の場合、昔の作品を注文していただくとなかなかたいへん(笑)。でも、とてもありがたいです。

甲  妻の場合、そのときに心が動いて作った物だから、(再び注文を受けたときは)心が過去のその状態じゃないからね。二人展ということで、二人で敢えてやる意味みたいなものも探れたら良いなとも思うのですが、無意識のうちにお互い影響を与えながら制作していると思います。そういう意味では敢えて意味を探らなくても、対比の面白さを感じて頂けるのではと思っています。

滋子 二人展の場合は、展示するギャラリーの雰囲気によって出品作品を主人と考慮していますね。

—甲さんの出品作品「右腕測定」の顔が滋子さんの作風に近づいているような気もします。

甲  確かに、この作品を出品すると「奥様の作品ですか?」とよく聞かれます。ある時期の妻の表現方法に影響を受けていると思います。基本的に、妻の作品は好きですね。ただ、僕は素材が革だったので、あまり乾いた感じの表現というのは素材感を生かせないと思っていたし、生き物をつくる時には革のウェットな素材感を生かすべきと思ってきました。でもドライな感覚には強い憧れがありますね。

滋子 三本足のシリーズは?

甲  三本足も(右腕測定)と同じ世界観で作っています。作品って、送り出す作家の思いと受け手のそれは当然様々で違うから、発信者と受け手が出会って、出会いの数だけ意味が生まれるわけでしょ。二番煎じではない、自分の中から出てくる表現だったら別に誰かに似てても構わないし、確かに妻の作品に似てるんですけど、似ててもいいやと僕は思っています。

—滋子さんは甲さんからの影響は?

滋子 受けてないかもしれないです。学生時代はすごく影響を受けました。私は美術全般に不勉強で、うまくもなかったし。(甲さんは)当時からうまかったですよ。本当に色々な世界を教えてもらいました。

甲  感受性が目覚める時期って人によって違うじゃないですか。僕の場合は中学・高校で目覚めた。彼女は短大を卒業した後に花開いたようです。僕は他人の作品に結構影響を受けやすいんですよ。20歳ぐらいまでは純粋に美術を見ることを楽しんでいました。けれど、作家活動を始めると純粋に見れなくなりました。こういうすごいのを作っている人がいる、というのを見ると、歪んだ影響を受けてしまう。ここ何十年も自分から他の人の作品を見るということはしなくなりました。目に入ってくるものは当然見るけど。今誰が活躍しているかも全く知らなくて、僕の場合自然のなかに入ってカタツムリ探していた方が楽しいじゃないですか。直接、自然から受けたインスピレーションを形にするようにしていますね。その方が自然な感じはします。葛藤が少なくて。

—片方で世間の傾向を捉えて、作品に落とし込まれる作家もいます。

甲  それが現代美術の流れですよね。個人に閉じこもってるではなく、社会とのかかわりのなかでね。「今」という瞬間を捉えるのが現代美術には違いないですから。あなた(滋子さん)は、今そういう世界に向かっているよね。

滋子 今後自分が現代美術にどうかかわるかはまだわかりません。昨日主人は東京アートフェアから帰ってきたばかりで、私はその図録を眺めていましたが、主人は全く見ないですね(笑)。

甲  言葉を弄するのではなくて、感受性というものを深く掘り下げていく手作業を作家には絶対必要で、その感受性を現代美術の作家は言葉にも換言できる作業をやっているんでしょうね。言葉で感受性を掘り下げるという作業をね。それがコンセプトというかたちに実を結んでいくのだと思う。

—自宅を改装した私設のカタツムリ博物館の計画もありますね。

甲  あちこちに喋ってるので、もうあとには引けないですね(笑)。仕事の合間に少しずつリノベーションしてます。標本も展示品も作っていかないといけないし、今年は忙しくなりそうです。 

—時間のある日はどう過ごされていますか?

滋子 映画ですね。映画館は苦手なので、DVDを借りてきて。心に残る作品では『嗤う分身』『エレファント・ソング』…沢山あります。映画の話になると止まらないです(笑)。映画の影響が作品作りに出ることもあります。2年前にはやはり映画のタイトルである「メランコリア」と題して作品に香りを足した展示も企画しました。

—甲さんは、ジャズがお好きですよね。制作中も聞きながら?

甲  ジャズは昔から聞きますね。一番心が癒やされます。でも制作中はラジオですね。今はもっぱらNHK第2。

滋子 ほら、あと歯舞とか国後とか言ってるやつ聴いてるよね。

甲  気象通報というのがあって、日本と周辺地域の気温、風力、気圧など、主要都市を巡って淡々と放送するんです。それがすっごく心地よくて。イメージするんですよね、行ったことのない場所を。ポロナイスクとかセベロクリリスクとか。地名も宮沢賢治っぽくて。どんな風景の場所やろう、って。ラジオから聞こえてくるモノトーンな感じがすごく好きで。僕は愛媛の宇和島という田舎出身なので、都会から送られてくるラジオ放送が混線したりするんですね。それが心地よかったというのがあるからかもしれません。そういうのが、ポエジーだと思うんですね。ポエジーを感じるというのが、僕の美術の基本なんですよ。(庭を眺めながら)こういう風景を見てても、妙に春めいて来る感じとか、風がぶわぁっと吹いて、南から風が運んでくる感じとか。誰もが感じることではあるんですけど。ポエジーを感じる瞬間というのが… それを定着させたいというのが僕の夢なんですよね。

河野甲「右腕測定」

コウノシゲコ「吟遊詩人」

[略歴]
河野 甲(こうの こう)
1956 愛媛県宇和島市生まれ
1977 京都嵯峨美術短期大学洋画科卒業 皮革造形作家 石丸雅通に師事
1984 皮革造形家として独立 京都に工房をもつ
1991 奈良県に移住
2000 京都府に移住
東京・大阪・仙台・奈良・京都・ニューヨークでの定期開催をはじめ、全国各地で個展を行う。
出版 作品集『しずかな八月』(求龍堂)、立体イラストレーションⅠ・Ⅱ(グラフィック社)

コウノ シゲコ
1956 和歌山県に生まれる
1977 京都嵯峨美術短期大学洋画科卒業
2000 京都府を拠点に活動
2008 大阪女学院モニュメント「聖家族」
2011・2013 MIDOW人形コンクール展 招待展示
2012 ギャラリー・ベリャエボ(モスクワ) 他個展グループ展多数

ラセン館 かたつむりミュージアム https://rasenkan.com

川口紘平展


2017年6月16日[金]— 6月25日[日]
11:00am -6:00pm

[略歴]
川口 紘平 Ko-hei KAWAGUCHI
1979 大阪摂津生まれ
2000 大阪デザイナー専門学校卒業
2002 個展・パステルハウスM/大阪・天神橋
2004 欧美国際公募キューバ美術賞展・優秀賞、個展・パステルハウスM/大阪・天神橋
2006 欧美国際公募フランス美術賞展・入選
2007 HERATLAND KARUIZAWA DRAWING BIENNALE・入選
2008 個展・Night Market 2F/大阪・福島
2009 個展・Casa La Pavoni/大阪・北新地 個展・炭味家/大阪・福島
2010 個展・Green Art Gallery/兵庫・尼崎、 個展・長崎浜屋百貨店/長崎・浜町
2012 個展・大丸心斎橋店 特選ギャラリー、個展・長崎浜屋百貨店/長崎・浜町
2013 個展・仙台三越 アートギャラリー/仙台、IFA展(IFA国際美術協会) 招待出品/大阪市立美術館
2014 個展・心斎橋大丸 美術画廊 / 大阪、 IFA展2014(IFA国際美術協会)/ 招待出品/大阪市立美術館
2015 個展・仙台三越 アートギャラリー/仙台、個展・東武百貨店 池袋店 / 東京、IFA展2015(IFA国際美術協会) / 招待出品/大阪市立美術館 個展・BAR 㐂坐吽 1F/大阪・福島
2016 個展・東武百貨店 池袋店 / 東京
2017 個展・岡山高島屋 / 岡山、 個展・さいか屋藤沢店 / 神奈川、個展・米子高島屋 / 鳥取
2018 個展・Casa La Pavoni / 大阪・北新地

クラフト展 杉田修一・大久保弥一・赤松功

2017年6月2日[金]— 6月11日[日]
11:00am -6:00pm

[略歴]
杉田 修一 Shyuichi SUGITA
1953 倉敷にて生まれる 1975 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業 修復研究室の歌田真介氏の元で素材などの研究をする
1987 倉敷の自宅にて絵画教室を開設し、西洋古典の模写やオリジナルの創作に励む 以降毎年個展を開く 
1988 朝日カルチャー「テンペラ」・「油彩画」講座開設 以降、岡山
    天満屋、丸善シンフォニービル店、倉敷エルパティオ等で個展を毎年開催
1994 第11回ハンズ大賞入選 
1996 朝日現代クラフト展入選
1997 年賀状、岡山県内版に水彩画「岡山城」が採用される
1999 ふるさと切手の原画に採用される

大久保 弥一 Yaichi OHKUBO
1952 滋賀県八日市市に生まれる
1983 朝日陶芸展入選、滋賀会館ギャラリー個展
1987 朝日陶芸展入選、滋賀県展芸術賞受賞
1991 信楽世界陶芸祭コンペティション金賞受賞
1992 滋賀県立陶芸の森研修作家。
    個展・入選多数。

赤松 功 Isao AKAMATSU
1949 愛媛県生まれ 1972 武蔵野美術大学別科実技専修科 油絵卒
2010 個展 現HEIGHTS・ Gallery DEN 2011 中之条ビエンナーレ
2012 CAF・N展(埼玉近代美術館)、 個展(飯能 わたなべ画廊)、波動展(福島県)
2013 中之条ビエンナーレ 2014 国際野外の表現展(入間市AMIGO! )、個展(AMIGO! )

川口紘平

—川口紘平氏の個展に際し、大阪・東心斎橋にあるモルトバーにてお話しをうかがいました。

川口 マッカラン12年をロックで。

マスター かしこまりました。チェイサーもお付けします。

—私は…今日のマスターの気分でお願いします。

マスター では、今日は暑いのでグレンリベット12年のハイボールをお出ししますね。

—普段、出歩るかれるのはバーが多いですか。

川口 かっこつける訳じゃないんですが、美術館が多いですね。どっかでなんかやってへんかなって、気軽に。 批判的な目線で観に行くときもありますよ。夜はほとんどバーか、ご飯を食べに出歩いてますね。何回か通って、お店の方と仲良くなるというのも面白いですね。

—マスターのお店も、常連の方が新しい方を気さくに迎えられているような気がします。

マスター 確かに、ウイスキー専門という少しマニアックなお店なので、ご紹介から定着されるパターンが一番多いですね。

川口 (一番上の棚を眺めがら)ラベルで飲むとお会計がえらいことになりそうですね。

マスター 金額は全てボトルの裏に記載してますので、そっと見ていただいてもらっております。あんまり高いものをご注文されたら「大丈夫ですか?」とお聞きすることもございます。

—紘平さんは、若い頃からバーやお酒はお好きでしたか。今もお若いですけれども。

川口 今年38歳になりましたが…21歳の頃に友達や兄がバーで働き出したころ、家に空き瓶を持って帰ってきてもらっていました。それを題材に、片っ端からお酒 の絵ばかりを描いていましたね。空き瓶ばかり見てるのもなんなので、飲み始めたというか。「高いお酒の絵を描いて」と言われることもあるんですが、飲まないと描かないことにしてて…そしたら頂いたりしますね(笑)。

—制作中はやはり何か聴かれながら?

川口 音楽は絶対聴いてますね。昔は、聴いていた曲の情報や歌詞を絵に描いていたこともありました。ボンッと大きく絵がある周りに字がいっぱいあったりとか、お酒のラベルを題材にするなら「Macallan」という字がはみ出していったりとか。

マスター ウイスキーのボトルラベルや風景画を描かれるようになったきっかけというのは?

川口 お酒の絵はさっき話した友達の影響が強くて。風景画だと、パリの街並みがやっぱり憧れなんですよね。 20歳の頃、佐伯祐三という画家を知って、その人はしっかりパリを描いてはるんですけど、今まで絵画教室で習ってきたきっちりした奥行きや線が狂ってないか、という基本的なことを彼は完全に無視しているんですよね。 自由な線があったんですよね、佐伯の絵の中に。 「むっちゃ自由やねんな」って。そこから、やりたいことやったらええねんや、思って。でも、最初の頃はパリの風景を描くと、佐伯祐三みたいな感じにどうしてもなるから怖くて描けなかったですね。真似なんて言われるのも嫌だったので、(風景を描くのを)やめていたんですけど。初めてパリに行ったら「描いて良いわ」と思いました。生で見ると、描きたくてたまらなくなりました。佐伯祐三に似ていると確かによく言われますが、段々「違うことが出来てるな」っていう自分なりの自信が固まってきたので、最近はほとんどパリの街並みを描いています。

マスター パリにはよく行かれてらっしゃる?

川口 今まで、4回ですね。

マスター 1回だけ私も行ったことがありますが…非の打ち所がない街でした。圧倒されました。なんでこんなに爽快なんだろう、と。

川口 綺麗ですよね。丘に登ると、エッフェル塔や凱旋門も見えて。楽器なんて弾いたら気持ちええでしょうね。

—ライブをされると聞きました。

川口 たまに近所のバーでギター弾き語りもさせてもらいますよ。吉田拓郎とか井上陽水、泉谷しげる、松田優作…彼の『横浜ホンキー・トンク・ブルース』なんか好きですね。『プカプカ』って曲を出した西岡恭蔵って知らない? ー知らないですね。お父さまの影響ですか?

川口 父がピーター・ポール&マリーという古いフォークを聴いてて、彼らの『風に吹かれて』を知って、それはボブ・ディランが作ったということを知って、ボブ・ディランが大好きになって、彼を聴き出したら吉田拓郎が出てきて…それが中学校1年か2年の頃でした。だから、周りの友だちとは音楽の話なんて全然合わなかったですよ。そう振り返ると、音楽の影響というのは強いですね。今はパリの風景がメインですが、いつかもっと音楽の世界観を出せる絵を描きたいですね。

—今の作品には、ご自分で考えられた詩をプリントアウトした紙を貼り付けられたりもされていますね。

川口 伝統的な絵画団体の方からは「こういう風にしていいんですね」なんて驚かれたりもします。デザインの学校を出たりそういった仕事を一時していたので、グラフィック的な自由な感覚が自分の中には生きているのでは、と思っています。詩は読まれるのが少し恥ずかしいので、少しだけわかりにくくしていますが。

マスター (詩などを通じて)ストレートに自分の考えを訴えられる、ということは?

川口 (詩や文字の羅列は)ここに文字的なものがほしい、という感覚なんですよね。特に意味らしい意味は持たせていません。よく、絵に一から十まで数字を描いていたりするんですけど、見に来られた方はすごい意味があるのではと考え込まれる方もいらしたりします。ただ、僕の場合は、描いているときの勢いや思いつきが形になっているので、作品にメッセージ性は特に無いですね。

—作り手と受け手の思いが一致することは、確かに難しいかもしれません。

川口 受け手に合わせていたらきりがないですから。 作品タイトルのネーミングもその点難しいですね。やはり便宜上ないと困るので付けるのですが…絵のモチーフにしたレストラン名を単純に付けることもあります。 「(受け手に)そう思ってほしい」というネーミングはあまりしたくないですね。

マスター 作為的なことはあまりされたくない、と。

川口 「なんでもあり!」と思いたいんですよね、見る人も描く人も。

—当初デザインの道にすすまれたというのは、デザイナー志向があったのですか?

川口 いえ、芸大受験をしてて、京都市立芸術大学を目指していました。1浪しているときに「そこまで頑張って行く必要あるのかな」と疑問を持ったりして。当時の高校の先生には「絵描きは60歳でも新人と呼ばれる世界なんだから焦らなくていいんじゃない?」と言われたことも大きかったですね。そこから、とりあえず生計を立てるためにデザインの勉強をして、デザイン事務所に就職しました。新聞広告の仕事がメインでしたが、ストレスも溜まったりして割とすぐに退職しました。ラガブーリン、ロックでください。

—いまさらですけど紘平さんって、よく話されますよね。寡黙な方とよく思われるのでは?

川口 思われるんですよね、寡黙でクールなんじゃないか、とか。でも、個展で会場に在廊した日はお客さんにおもろいこと言おう言おう思っていますね。 ー大阪人らしいですね。

川口 お酒飲んだら特に喋りますね。だから、昼間はあんまり喋らないですよ、前の晩のお酒も残っていたりして。これだけ喋るようになったのはバーに行くようになってからですよ、知らない人と隣になったりして、お喋りして、そんなんの繰り返しですよ。

—デザイナー志向ではなくて、やはり画家になりたかったということで。それは小さいときから?

川口 幼稚園の時から画家になると思ってましたね。 資格やテストもないですし。今ほど仕事として絵を描いていないときでも、家でイーゼルを立ててキャンバスを置いて、特に何を描くというわけではないのですが。 そういう空気感に自分が酔っていたところもありました。

—紘平さんがパリの街並みを見て「描きたくてたまらなくなった」という衝動…芸術家はそういう衝動を持たれている様な気がします。音楽家、彫刻家、陶芸家、…楽譜を書かずにはいられない、彫らずにはいられない、手を動かさずにはいられない。そのような内面から湧き出る感覚というのは特別な才能なのでしょうか。

川口 誰しも持っている感覚なんだろうとは思います。それはある種の欲望なんですよね。「何かしたくてむずむずする」っていうのが。だから、ある意味そういう(芸術)活動を続けている人は「子ども」なんだと思うんですよね。欲望に忠実な。描きたくてたまらへん、でも色んなことあるから出来へん、っていうのが大人になったらわかるじゃないですか。やりたいことをやるための環境づくりは大人になっているのかもしれないですけど。自分の中にある、根本にある…欲望を吐き出したいというのは「子ども」の延長なんちゃうかな。 ラガブーリン、おかわりください。段々こういう考えに固まってきたというのはあります。若いときは、画家って人とは違う特別なこだわりがあらないかんやろか、とか。でも、そんなプライドは自分にとってはふさわしくないな、と思うようになってきて。

—個性を求めて、没個性になるというような。

川口 そうそう。人が感動するような絵を描こうと思ったら、人のこと知らなあかんし、人とちゃんと喋るということが出来ないと…感動させるということは出来ない、と。百貨店や画廊での個展となると、みなさん緊張して来られたり質問されるんですね。そんなときは、描いている時に演歌や英会話が流れてしまうことを話したりして。 でも気軽な話をしても、来られた方はやっぱり目に見えてるものに「すごい」と思ってもらっていて、そこに現実があるわけやから、蔑ずんでは見られていないですよね。そういう、日頃の背景も交えたりすることで、心の紐がほどけたら…もっと純粋に絵を見れるんとちゃうんかな

(売約済)Cafe Chappe(アクリル・キャンバス/2015年 95㎝×95㎝)

[略歴]
川口 紘平(かわぐち こうへい)
1979 大阪摂津生まれ
2000 大阪デザイナー専門学校卒業
2002 個展・パステルハウスM/大阪・天神橋
2004 欧美国際公募キューバ美術賞展・優秀賞、個展・パステルハウスM/大阪・天神橋
2006 欧美国際公募フランス美術賞展・入選
2007 HERATLAND KARUIZAWA DRAWING BIENNALE・入選
2008 個展・Night Market 2F/大阪・福島
2009 個展・Casa La Pavoni/大阪・北新地 個展・炭味家/大阪・福島
2010 個展・Green Art Gallery/兵庫・尼崎、 個展・長崎浜屋百貨店/長崎・浜町
2012 個展・大丸心斎橋店 特選ギャラリー、個展・長崎浜屋百貨店/長崎・浜町
2013 個展・仙台三越 アートギャラリー/仙台、IFA展(IFA国際美術協会) 招待出品/大阪市立美術館
2014 個展・心斎橋大丸 美術画廊 / 大阪、 IFA展2014(IFA国際美術協会)/ 招待出品/大阪市立美術館
2015 個展・仙台三越 アートギャラリー/仙台、個展・東武百貨店 池袋店 / 東京、IFA展2015(IFA国際美術協会) / 招待出品/大阪市立美術館 個展・BAR 㐂坐吽 1F/大阪・福島
2016 個展・東武百貨店 池袋店 / 東京
2017 個展・岡山高島屋 / 岡山、 個展・さいか屋藤沢店 / 神奈川、個展・米子高島屋 / 鳥取
2018 個展・Casa La Pavoni / 大阪・北新地