髙橋直樹

―髙橋直樹さんは、ガラス工芸を生業とされてこの道40年。学校を卒業されてすぐにキャリアが始まったのでしょうか。

髙橋 今年で66歳になりますが、大学卒業後の1974年はガラス工芸を学べる場としてガラス工場を中心に職を求めました。ただ、オイルショックの時期も重なってどこの工場も人を雇える状態じゃありませんでした。ガラスって、製作に何が一番コストが掛かるかというと……燃料費なんですよね。絶えず1200,1300度の温度を保たなければいけないですし、火を一年中毎日焚いておかないといけませんし。それなのに、オイルショックとなると、世の中の景気は悪くなるし、モノは売れなくなるし……ちょうどそんな時期ということもあり就職先が見つかりませんでした。そんな具合でしたので、新宿にあった朝日カルチャーセンターの前身のような教室があって、ガラス教室に申し込んで習いに行きました。そこの先生が兵庫県西宮市の方で、矢野担先生でした。その当時ガラスを教えることの出来る方は少なかったですね。矢野先生は彫金も出来てアクセサリーも作られ、デザインまで出来る先生でした。そこではガスバーナーでガラス棒を溶かすバーナーワークを中心に学びました。入室するにあたっては、その先生にコネをつけてもらおうという考えも当然ありました。入室して半年経ったある日、「ガラス工場に就職したい」という旨を先生に告げると「知ってるところを当たってみるよ」と言っていただけました。先生のご自宅が西宮市で、近くに灘区の山村硝子(現・日本山村硝子株式会社)という一升瓶を作っていた製瓶メーカーが当時ありました。そこで、矢野先生から山村硝子の部長さんを通じて、のちに就職した大阪の四ツ橋にある岩津硝子の社長さんを紹介してもらいました。

―四ツ橋というと大阪の……

髙橋 心斎橋のすぐ隣で、大阪の中心街ですね。本社は四ツ橋で、工場は福島でした。ただ工場は駅前にあったことから騒音がのちに問題になって、工場は奈良県の桜井市に移転となりました。そしてその部長さんに「桜井市にある工場なら紹介出来るよ」ということで、岩津硝子に就職しました。全く関西に来たかったも何も無くて、場所はどこでも良かったのですが(笑)。その縁から奈良県には40年住んでいますね。

―髙橋さんの代表作、「卵と殻」作品は岩津硝子勤務時代に生まれています。

髙橋 「卵と殻」作品はこの岩津時代の昼休みに生まれました。東急ハンズコンテストの第2回だったと思うのですが、募集があったので応募したところ、デザイン賞を受賞できました。賞金も出ましたが、昼休みにひそひそと作ったものでしたので……みんなとの飲み代に消えました(笑)。その後も工場には勤めましたが、東急系の百貨店で展示会をしないかと声が掛かるようになりました。そのデザイン賞というのが西武美術館の館長さんの賞でしたので、次第に西武系の百貨店からも呼ばれました。職人をしていると、外とのつながりがほとんど生まれないのですが、受賞を機に外とのつながりも出来て、先のグループ展でも画商さんから注目してもらえるようになりました。

―「卵と殻」作品が作家活動の始まりとなったわけですね。

髙橋 そうですね。当初は職人仕事をしようと思っていたので岩津硝子の工場が存続していけば良かったのですが、同期や職人は年々少なくなって、お給料も遅配するわ、会社の状況が怪しくなってきて……。でも、矢野先生や山村硝子の部長さんの紹介ということもあり、ホイホイと辞めるわけにはいかないじゃないですか。仕事自体は面白かったですし、もっと職人仕事をしていたかったのですが、勤続10年を機に作家として独立しました。その後は吉野郡下市で山を切り開いて築炉したり、最終的には現在の明日香村に落ち着きました。

―元来何かを作るのがお好きだったのですか。

髙橋 ものづくりは、ずっと好きでしたね。生い立ちになると、祖父が町工場のネジ屋、それも信号機用の特殊なネジを作っていました。そんな家系ですので、父は東京計器株式会社で計測機器や実験器具を作って、定年まで勤めあげましたね。子どもの頃は、当時流行っていたラジコンの機械を作るために秋葉原に部品を買いによく行ってたりもしていました。父親も時々手伝ってくれていましたね。

―その後の、美術とのかかわりというのは?

髙橋 高校時代は写真部にいた関係もあって、美術館巡りや絵を見に行くのも好きでした。学生の頃、鎌倉の近代美術館で日本のガラス工芸を見て、当時はまだ作家活動をされている人は少なくて、黎明期だったんですね。自分がこの世界に入ったら面白いだろうな、自分が好きなモノは、世の中の人も好きだろう、という直感が湧きました。

―それはご自身が通用するという、確信があったということでしょうか。

髙橋 確信というより、世の中には偏差値というものがあるじゃないですか。自分の(美的)感覚の偏差値で言えば、両極端に外れてはいないし、特に芸術家肌でも異常者でもないので、ごく普通の嗜好を持っているとは思っていました。目立ちたがり屋でもないですし、ガラスは好きで綺麗で面白そうだし……自分は変わっているわけじゃなくて、自分がごくごく平凡な偏差値のなかでいたら、世の中の人も納得してくれるんじゃないのかな、って。

―高橋さんにはヒロ画廊で10回以上は展示をしていただいています。

髙橋 ほら、私って話が長いじゃない?昔、ヒロさんに「お客さんと長話しすぎです」ってチクリと言われたこともあったなぁ(笑)。でもヒロさんとはお付き合いが長い方で、一回きりで終わるギャラリーさんも当然あるし、人間の相性があるからね。売上の大小は、もちろんタイミングなどもあるから、深くは気にしません。画商さんやお客様から「こんなものが欲しい」という注文があれば作りますしね。

―終わりがない美術の仕事。「定年」という区切りがあれば欲しいですか。

髙橋 退職した同世代からは「良いな、定年が無くて」なんてこともたまには言われますが……。お呼びが掛かればね、いくらでも仕事しますよ。声が掛からなくなったら、作家として終わりですからね。

[略歴]
髙橋 直樹(たかはし なおき)
1951 東京生まれ
1974 日本大学理工学部交通工学科卒業 ガラス工芸家・矢野担先生に師事 ガラス制作を始める
1975 岩津硝子(10年間)吹きガラス職人として勤務
1981 吉野芸術村に築窯 個人用吹きガラス作品制作開始
1982 奈良にて作品展 以降各地にて個展
1983 明日香村阪田に築窯 自宅兼工房(明日香むらの吹きガラス)立ち上げ
1984 東急ハンズ大賞 デザイン賞
1985 世界ガラス会議コンテスト第3位
1985 西武アトリエヌーボー・コンペ 西武美術館長賞
1985 西部百貨店池袋店にて個展 フランス・ルアン美術館「Art du Verre」出品
1987 朝日現代クラフト展入選 工芸都市高岡’87クラフトコンペ入選 ニューヨーク「The Art of Japanese Studio Glass」 出品 阪神百貨店にて個展(以降2013年まで毎年)
1988 第8回天展入選
1989 東急ハンズ大賞 入選
1989 ジャパンデザインコンペティション石川入選
1990 関西ガラスアート展入選(~1991)
1994 明日香法15周年事業 出品並び記念品制作
1996 唐招提寺にて「奈良のいい仕事を育てる会」
1997 第3回新美工芸会招待出品
2000 内モンゴル自治区日本美術展招待出品
2010 中国上海ギャラリーM50にて5月個展
2010 第2回北の動物大賞展 入選
2011 大丸神戸店にて個展
2013 阪神百貨店第27回個展「1987~毎年」
2014 京阪百貨店守口店にて個展
2014 大丸神戸店にて個展
2015 大丸京都店にて展示会
2016 阪急西宮にて個展
2017 あべのハルカスにて個展

いわさきちひろ&中島潔 版画展 同時開催 大野八生 水彩画展


2017年8月4日[金]— 8月13日[日]
11:00am -6:00pm

[略歴]
いわさき ちひろ Chihiro IWASAKI
1918 12月15日、福井県武生市で生まれる。
1933 岡田三郎助に師事、デッサン・油絵の勉強をはじめる。
1936 朱葉会女子洋画展に入選。
1937 小田周洋に師事、藤原行成流の書を習いはじめる。
1942 中谷泰に師事、再び油絵を描きはじめる。
1946 日本共産党に入党。人民新聞の記者となる。日本共産党宣伝部・芸術学校に入る。
    赤松俊子(丸木俊)に師事。
1948 新聞のカット・挿絵、絵雑誌、教科書の仕事の多く手掛ける。油絵もよく描く。
1949 紙芝居「お母さんの話」(教育紙芝居研究会)を出版し、翌年、文部大臣賞。
1956 小学館児童文化賞受賞
1960 「あいうえおのほん」(童心社)を描き、翌年、サンケイ児童出版文化賞受賞。
1964 安泰、遠藤てるよ、久米宏一、滝平二郎、東本つね、箕田源二郎らと「童画ぐるーぷ車」を結成。
1971 「ことりのくるひ」(至光社)を描き、’73年ボローニア国際児童図書展グラフィック賞を受賞。
1974 8月8日、没。享年55歳。

中島 潔 Kiyoshi NAKASHIMA
1943 4月生まれ。佐賀県出身。
1961 佐賀県立唐津西高校卒業後上京。独学で絵の勉強を続ける。
1964 広告会社に就職。アートディレクターとして数々の賞を受賞。
1971 フランス・パリの美術学校で学ぶ。
1982 NHK「みんなのうた」のイメージ画を手がける。
    同年、東京小田急百貨店で初の個展を開く。
1987 ボローニャ国際児童図書展で絵本「木霊みょうと」がグラフィック賞受賞。
1989 ワシントン州百年祭を記念して、兵庫県よりワシントン州に「かのひとはるか」を寄贈。
1990 北京の故宮にて海外展開催。
1998 画業30年記念で「源氏物語54帖」完成。
1999 NHKにて「郷愁・中島潔の世界」(春夏秋冬四部作)を制作・放送。
2001 NHKドキュメンタリー番組「中島潔が描く金子みすゞの世界」制作・放送
    NHK「世界 わが心の旅ーセーヌ川・私を作った2人の女」制作・放送。
    パリ・三越エトワール美術館にて海外展開催。
2003 東京メトロ半蔵門線開通を記念して、新四駅にアートレリーフを制作。
2007 東京・上野の森美術館にて「絵筆でつづる四半世紀展」を開催。
2010 京都・清水寺成就院に「生命の無常と輝き」襖絵46枚を奉納。
    5月 NHKクローズアップ現代「風の画家・中島潔 いのちを描く」制作・放送。

大野 八生 Yayoi OHNO
園芸好きの祖父のもと幼い頃から植物に親しむ。植物に携わる様々な仕事を経て庭をつくる仕事へ。造園会社退社後、それまで描きつづけてきたイラストと植物の仕事でフリーとなる。現在イラストレーターと造園家として活動。NHK「趣味の園芸ビギナーズ」や光村図書の小学校教科書の表紙イラストを手がける。
著書「夏のクリスマスローズ」アートン新社、「にわのともだち」「じょうろさん」偕成社、
「盆栽えほん」あすなろ書房、「小学校国語教科書,表紙」光村図書出版

筆塚稔尚展


2017年7月21日[金]— 7月30日[日]
11:00am -6:00pm

[略歴]
筆塚 稔尚 Toshihisa FUDEZUKA
1957 香川県生まれ
1981 武蔵野美術大学 造形学部油絵学科卒業
1983 東京芸術大学 大学院 美術専攻科終了
1989 客員研究員/カナダ政府奨学金、アルバータ州立大学 (-90)
2000 文化庁在外研修員・ポーランド(-01)
2003 4th Engraving Biennial of Ile-de-France 招待出品 フランス
2004 カタール芸術文化祭招待出品 ドーハ・カタール 日本の木版画100年展-創作木版画から新しい版表現へ-名古屋市美術館・愛知
2005 INPUT OUTPUT -あるクリエーターのコレクション-展 東京純心女子大学 純心ギャラリー
2006 バハラート・バハマン国際版画ビエンナーレ展 招待出品 インド
2008 ハーベスト「原健と120人の仕事」原健退任記念展 ギャラリー東和・東京造形大学
2010 「日本現代版画展」 ティコティン美術館・ハイファ イスラエル
2012  林孝彦・筆塚稔尚版画展 晩翠画廊・宮城
2013  world printmaking one Mile End Art Pabilion, London, U.K. 25 X 25: contemporary Japanese & Australian Printmaking Sydney Australia
   Prism World Printmaking-One 柳沢画廊・埼玉
2014  Hangzhou Art Fair 杭州 中国

近持イオリ 石彫展


2017年7月7日[金]— 7月16日[日]
11:00am -6:00pm

[略歴]
近持イオリ Iori CHIKAMOCHI
1985 金沢美術工芸大学彫刻科卒業、同卒展作品買い上げ、渡米留学(ニューヨーク)
1990 須磨離宮現代彫刻コンクール準入選
1991 第7回ヘンリー・ムーア大賞入選(彫刻の森美術館賞受賞)
1996 第2回かさおか石彫シンポジウム入選、参加(岡山)
1993 アートヒルズ三好ヶ丘1993 彫刻フェスタ入選(特選受賞、愛知)
1994 第5回足立区野外彫刻コンクール入選、第3回石のさとフェスティバル1994 入選
1995 国立とうや湖ぐるっと彫刻公園に設置(北海道壮瞥町)
1998 湖北庁舎前公園にEARTH VIBRATION-環を設置(滋賀)
1999 第6回国際コンテンポラリーアーチフェスティバルNICAF TOYO1999
2000 第5回石のさとフェスティバル セシール賞受賞
2003 第2回あさご芸術の森大賞展入賞
2004 GAOC 群馬スペースアート展入賞
2005 不二越正面玄関プロデュース(富山)
2006 第7 回石のさとフェスティバル入選 第22 回現代日本彫刻展入選(宇部)
2008 「In the future-未来に-を住友重機械工業受付ロビー設置(横須賀)
2004 西浅井中学校銘板石碑設置(西浅井)
2010 石山縄文しじみ貝塚の塔記念碑を設置(大津)