武田史子

版画の中でも木版画や石版画でなく、銅版画を選ばれたきっかけを教えてください。
 銅版画を選んだというのは偶然というか仕方なく……から始まりました。藝大の前に多摩美術大学のグラフィックに行っていましたがそこで版画の選択授業があり、その当時アンディ・ウォーホールを知りシルクをやりたかったのですが、教室は溢れんばかりの人で入れず次にリトグラフ教室を見てもかなりの人でダメで、最後に仕方なく入った部屋が銅版画で数人の学生でした。
 その当時、きっと有名な先生もいらしたかと思いますが、全然覚えてなく最後の講評会で少し褒められたのが嬉しかったことだけを覚えています。
 その後、藝大デザインに入り直し、2年次に版画の選択授業があり一度経験があるなら続けてみればと言われ、当時地下にあったデザイン科の版画工房が居心地よく担当教授も洋画を描かれていたので、そのまま卒業制作も修了制作も銅版画を制作し、有難いことに修了制作が買い上げになりました。ただ、大変だったのが、基本形は教わりましたがほとんど独学で、今も絵画科(油画)の版画専攻に方々にはコンプレックスだらけです。

影響を受けた作家を教えてください。
 版画では、駒井哲郎、長谷川潔、浜口陽三、清宮質文、深澤幸雄氏の本でかなり勉強しました。あとは大御所の作家(欧州、日本)の作品をよく観ます。誰とは多すぎて……です。好きだなと思えばどんな作品(絵画も彫刻等々)も観ます。

普段、制作で大切にしている道具は何でしょうか?
 一番大切にしているのは、職人さんに作って頂いたバニッシャー2本です。既製品のバニッシャーも使用しますが、太さ、カーブの具合が絶妙でとても使いやすい品です。

コロナ禍がなかなか落ち着かない状況が続いています。訪れたい場所や会いたい人を教えてください。
 今、訪れたい場所は、欧州。両親と一緒によくイタリア、フランスの田舎に旅行していました。欧州は美術館を含めてどこに行っても見るべき場所や出会う風景等があり、刺激になります。それと友人の居るオランダとベルギー。レンブランドハウス、ベルギー/ヘントの祭壇画は、実際に行ってみたいところです。

武田 史子(たけだ・ふみこ)
1963 東京都生まれ
1989 日本具象版画展 優秀賞
1991 東京芸術大学大学院美術研究科 修了(修了制作買上賞)
2016 アワガミ国際ミニプリント展(賞候補)
2017 高知国際版画トリエンナーレ展(佳作賞)
2017 アワガミ国際ミニプリント展(優秀賞) パブリック・コレクション 東京芸術大学 本間美術館 文化庁

杉田修一

杉田 クラフト作家の小黒三郎さん(登り人形を広めた作家)がご近所にいるんだけど、昨年初めて面と向かって話す機会があって「世界中でいろんな木工の作品を見てきたけど、杉田さんのピボットのようなスタイルは、どこを探してもない」と言ってくれて本当にうれしかったのを覚えています。

—生き物たちを唐木で表現するピボット作品とは別に、倉敷の街並みを透明水彩で描かれる一方、イコン画・テンペラ画も手がけられて、作風や扱われる素材が多岐に渡りますよね。ご自身のなかで、メインの技法はありますか。

杉田 本来は作家として東京に居て自分の世界を淡々とこなしていたら、イコン作家として認めてもらう自信もあったけどそういう自分をあきらめたからね。倉敷に戻って、地方作家として是が非でも生き延びようとしてね。自分の手で、自分の世界のモノを作って、買ってもらって生きていくと腹を決めたから。でも、あきらめた世界もあるけど、割いている時間を別にしたら、少し遠ざかっているテンペラ画ももっと描かないとなっていう思いもあるよ。

—あきらめたり、受容することとが、ちょっとずつ大人になっていくことかなと個人的には思いますが。

杉田 60歳になったときに、リタイアした知人の何気なく 言ったことで、やり取りがあってね。「杉田は良いよな。作品や名前が残るでしょ。俺らは何も残んないよ。書類を確認して、はんこ押して、ちょこっと書いて……云々。それが宝物になるか。何も残らないでしょ」って言うものだから「ダビンチにミケランジェロ、名を残した作家もいれば、当時のフィレンツェの街に、ルネサンスの時代にどれだけの作家がいたことか。ほとんど残れずなわけで、俺とお前の立場は変わらないよ」と。そこからは、残る云々より、自分がどれだけやりきったかという幸福論に行き着くよね。 幸い自分は高校のときに好きな道に出会って、それに向かってやることをやってきたっていう自負はある。好きな分野で自分が目標を決めてどれだけ達成できるか、人からの評価を気にしすぎず、悔しい思いをしながらも、自分がどう納得出来るか。どうせする苦労なら、自分の好きな世界でやったほうが頑張れるよね。他人に決められて人に疲れてで生きるなんて僕にはムリ。第一、体に悪いよね。僕は、生涯現役で楽しんでいきます。(岡山県倉敷市にある杉田修一のアトリエにて)

ムツゴロウ(唐木)

[略歴]
杉田修一(すぎた しゅういち)
1953 倉敷にて生まれる
1975 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業
1987 倉敷に帰郷 自宅にて絵画教室を開設
1994 第11回ハンズ大賞入選
1997 年賀状、岡山県内版に水彩画「岡山城」が採用される
1999 ふるさと切手の原画に採用される

小山亨


ラ・フォレスタ スタッフ 中村 振り返ってみると、直感的で私心のない方でした。作られる作品にも迷いがなくて。対人関係でも、初対面でもスッと受け容れられる方には、ガード無く接していた方でした。私がこのラ・フォレスタに勤め出したのは4年前からですので、お付き合い出来たのもそれ以降なのですが、小山さんはもっと前からこちらの工房にいらっしゃいました。短い期間のお付き合いでしたが、うまくはいえないのですが、自分の気持ちを大事にされていた方、という印象です。

ーモチベーションを整えて、仕事をされていたということでしょうか。

中村 そうだと思います。ご自宅は河内長野市なのですが、ここまで車で来られる通勤ルートが山に分け入っていくような感じなんです。国道から逸れて、緑の木のトンネルを抜けて工房に着いて。晩年で印象に残っているのが「以前は頭の中から離れない心配ごともあったりしたけど、ここに来て朝の空を眺めて、今日もここで仕事ができるんやと、そう思うだけでうれしい」と仰っていました。晩年はそんな気持ちで工房におられたようです。

ー小山さんは、渡米して木工家・ジェームズ・クレノフに師事されたとうかがいました。

中村 小山さんとクレノフとの関係ですが、クレノフが著した『木の家具ー制作おぼえがき』(中井書店・2008)を翻訳した三ツ橋修平さん(クレノフの学校で小山さんと一緒に学んだ)のお手紙にこうありました。「小山さんは、事情があったためクレノフの学校に彼の本を読まずに入学した唯一の教え子であったのに、他の生徒には気難しいクレノフが彼とは心をゆるした付き合いをしておられました。クレノフとは予備知識をもたずともわかりあえていたようです」と。私見と想像ですが、小山先生は技術的なもの以上に「木目の美しさの生かし方」の感覚をクレノフと共有することによって学ばれたのではないでしょうか。作品を見ているとそう思います。カリフォルニアでのクレノフとの幸せな時間と体験が核としてあったので、フォレスタの木工教室でも、その感覚を醸し出されていたようです。教室の生徒さんの話ですが、厳しいところもあったけど、単に指導を鵜呑みにするのではなくて、自分の頭で考えてデザインすることをいつも促されていたようです。裏表のない方でした。自分の作品については饒舌に説明されることもなく、売り込むことも苦手だったと思います。ただ、生き方は曲げられずに清々しく全うされたのではないかと、私は思います。  

ラ・フォレスタ工房作家 小山亨さんは2018年3月24日に逝去されました。 ご冥福をお祈り申し上げます。  

(売約済)キャビネット(ブビンガ・ウォルナット)

[略歴]
小山亨
1986 長野県にて木工の基礎を学ぶ
1989 California College of the Redwood ジェームズ・クレノフ の元で学ぶ
1991 大阪インテリア 末包茂樹一級建築士事務所にて活動
1996 河内長野市にて木工房K Factory開設
1999 千早赤阪村に工房を移転

ラ・フォレスタ(南河内林業総合センター)  〒585-0055 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪1238-5 電話番号:0721-72-0090 営業時間:11:00~17:00 定休日 :月曜~木曜 駐車場 :あり http://www.sinrin.org/foresta/

今村由男展

2018年5月18日[金]ー 5月27日[日]11:00am -6:00pm

[略歴] 今村 由男(いまむら よしお)
1948 長野県に生まれる。 独学で版画を始め、銅版画家・中林忠良氏に私淑する。
1989 日本版画協会展・準会員賞、ニューヨーク国際ミニアチュールプリントビエンナーレ受賞、
バラトヴァバン国際版画ビエンナーレ・特別賞、日仏現代美術展・佳作賞(90年フランスソワール賞2席、フィガロ賞3席)
1991 アトリエコントルポワン(パリ)に留学し、1版多色刷り銅版画を学ぶ
1995 パシフィックリム国際版画展・ハワイ州教育・芸術財団買上賞(1997、2000年)
1997 文化庁特別派遣在外研修員としてパリ、アトリエコントルポワンに留学
1998 フィンランド国際ミニプリント展・特別賞
2000 カダケスミニプリント展・受賞。翌年審査員を務める。
2008 ニュージーランドパシフィックリム国際版画展・審査員特別賞
2009 ソウル空間国際版画ビエンナーレ・買上賞、スプリット国際グラフィックアートビエンナーレ・特別賞(クロアチア)
2011 CWAJ現代日本版画展・第1回運営委員会賞、モロッコのアートフェスティバルに招聘され滞在制作を行う。
2017 スプリット国際グラフィックアートビエンナーレ・グランプリ(クロアチア)