筆塚稔尚

3年ぶり2度目の個展に際し、作家の筆塚稔尚さんが埼玉県よりヒロ画廊まで打ち合わせも兼ねてお越し下さいました。(2020年1月18日)
 
ヒロ 今日はようこそお越しくださいました。ただ、道中の筆塚さんに連絡を取ろうと思っても携帯を持っていらっしゃらない。やはり、何かこだわりがあるのでしょうか?
筆塚 外に出掛けたら目先の変化に対応する方が面白いですからね。電話を持っているとどうしても拘束されますし。
 
ヒロ 少し大げさかもしれませんが、生きている中での空気感を得られたいのでしょうか。
 
筆塚 本当に必要であれば、自宅の固定電話の留守電や、パソコンのメールもあるので「つながる」方法はいくらでもあります。年に一度か二度ですね「携帯、今あれば便利だろうな」と思うことは。今日も学文路駅から降りたら公衆電話が無いんですよね、少し不安にはなりましたが、近くにガソリンスタンドがあったので、店主さんに「すみませんが、代金支払いますので電話をお貸しください」と交渉して、ヒロ画廊に電話しました。何も持っていない方がかえって周囲を見渡せて、会話も生まれやすいと思います。
 
ヒロ スマホやインターネット社会になって、電車内の光景も昔と変わりました。筆塚さんの場合、社会の風景の変化が作品に反映されるのではないでしょうか。
 
筆塚 先ほどのような視点で観ているので、何らかの影響はあるでしょうね。
 
ヒロ 共感者は絶対数で言えば少ないでしょうが……100人いたらおひとりが反応してくれたら良いですよね。経験則ですが、ヒロ画廊以外の街中で展示会をしたとき、足を止めて会場に入ってくださる人は100人に1人、実際買って下さるとなると、来場された30人のうち1人だと感じています。ヒロ画廊が続いているのは、画廊とお客さん間でのストレスを減らして溜めないようにしているからだと思っています。
 
筆塚 共感を得るという点では、作家としては、自分の作品を「面白い」と感じてもらう人や場所を探す努力が必要です。それは画廊さんを探すことであったり、画廊の人に僕の作品の魅力を伝えてもらうことであったり。過去の作品と現在の作品も1人の人間が作っているので、僕の中では作品によってコンセプトを変えていますが、根っこの部分は全く変わっていないような気がします。それより、漠然と思っていたことが、はっきりと意識するようになりました。
 
ヒロ 画廊としては、ご紹介する作品や作家で有名・無名にはこだわっていません。ただ、筆塚さんは63歳になられますが、経験や年齢を重ねないと出てこない魅力は確かにあると思います。
 
筆塚 30歳のころは絵で生活は成り立ちませんでしたので色んな仕事を経験して、人の手に作品が渡るようになったのは、バブル経済崩壊後でした。
 
ヒロ  それでも、良い方かもしれませんよね。
 
筆塚 最近は、画廊のオーナーたちが同年代や年下になってきました。若い人たちと仕事をして、接点を持ったり話題に追いついていかないと、という意識も強いです。あと、大学をはじめ、教える現場にもいました。これからの自分に対して戒めを込めて言いますが、自分の芽を潰しているのは自分なんだ、と。色んな所からチャレンジして、これは自分とは違う、これは少し合う……そうやって自分の世界を探し続けないといけない、結局その繰り返しなんだ、と。あとは、自分が死ぬまでに、もう何回か自分の知らない自分と出会いたいです。今日の外出もお正月ぶりです(笑)。家でこつこつ制作している方が、私は性に合っていますね。
経つ影 50 x 70 cm 木版画・2003年
 
[略歴]
筆塚 稔尚(ふでづか としひさ)
1957 香川県生まれ
1981 武蔵野美術大学 造形学部油絵学科卒業
1983 東京芸術大学 大学院 美術専攻科終了
2010年より林孝彦氏とともに「版画の種まき」を目的に「リトルクリスマス展-小さな版画展-」を全国各地の画廊・美術館で企画・開催。毎年、数十名の有志作家と協力し、10年間で約13,000点の版画作品の普及に努める。

紙の表現 奥野誠・奥野佳世展

2018年6月15日[金]ー 6月24日[日]11:00am -6:00pm

[略歴] 
奥野 誠(おくの まこと)
1975 武蔵野美術大学造形学部油絵専攻卒業
1977 大阪にアトリエを構え、関西、東京を中心に作品を発表する
1984 龍神国際芸術村へ移住、その運営に携わる 紙漉きと、 その技法による作品の制作を始め、 紙漉きワークショップ・展覧会を各地で開催
1988 芸術村開村5周年記念展を企画、開催
2006,07和歌山大学紀南サテライト授業「現代社会と紙漉き」開講
2008,09山路紙 紙漉き工房開設
2011 全国手漉和紙青年の集い和歌山大会を龍神で主催
2013 龍神国際芸術村開村30周年記念芸術祭、「Art in 龍神村」開催
2016 和歌山県名匠表彰を受ける
2017 名匠表彰受賞記念展(県民文化会館、和歌山市)、
奥野誠紙の世界展(紀南文化会館、田辺市)、東京都中央区区民講座にて講演

奥野 佳世(おくの かよ)
1975 武蔵野美術大学造形学部油絵専攻卒業
1976~84大阪の公立中学、高等学校にて美術指導
1984 アートスペース虹(京都)にて個展  龍神村に移住、龍神国際芸術村アートセンターにて村おこしの活動を始める 紙漉き、草木染による創作活動を始め現在に至る
1992~ 東京、北海道、和歌山、大阪、三重、兵庫などにて展覧会開催
2012~14草木染和紙薄様の研究と製作(助成 公益法人ポーラ伝統文化振興財団)
2017 東京都中央区区民講座にてワークショップ講師
奥野誠・佳世二人展(みやまかやぶき美術館、南丹市)、二人展(ギャラリー砌、東大阪市)

 

上砂理佳展


2018年6月1日[金]ー 6月10日[日]11:00am -6:00pm

[略歴] 上砂 理佳(かみすな りか)
1990 大阪造形センターイラストレーション科卒業 銅版画を始める
1992 現代版画コンクール展(大阪府立現代美術センター)
1993 93版画展(大阪) 「R2の世界」銅版画二人展(大阪)
1994 第20回現代童画展新人賞(東京都美術館)
1995 アールナイーフグランプリ選抜展(東京青山 ギャラリーEAUX)、月刊MOEイラストコンクールWINDOW 準グランプリ、銅版画五人展「エッチングオラトリオ」(大阪)
1997 イラスト&銅版画個展「びいどろ絵本館」(大阪) イラスト三人展「三ツ星のエチュード」(東京銀座)
1998 銅版画個展(神戸)
以後毎年、東京・大阪・浜松・和歌山など、全国での展示会活動を多数重ねる。

 

中林忠良

銅版画家・中林忠良氏の個展に際し、埼玉県にあるアトリエでお話を伺いました。

中林忠良(以下、中林) 廣畑さんというお名前から「ヒロ画廊」と名付けられたわけですね。

ヒロ画廊 代表 廣畑政也(以下、ヒロ) はい、苗字が由来なのと、気持ち的にも末広がりに「広がっていけば」という意味も込めて開廊しました。画廊の近くには紀の川が流れていまして、たまに氾濫して困ったりもするのですが、もともとは祖父の代までは農業が家業で、父は勤めでしたので、私がこういった仕事を生業として始めたのは突然のことでした。

中林 そうでしたか。画廊が高野山の麓にあると聞いて、学生時代に高野山のお寺で泊まったことを思い出しました。確か途中、電車を降りてケーブルカーであがっていったような……。

ヒロ 今でもケーブルカーはあります。他県の作家が来場された際は、その足で高野山詣りする方もいらっしゃいますね。

中林 もう数十年前のことなので記憶も曖昧ですが、全く知らない場所でもなさそうですね。


銅版画家 中林忠良 氏

ヒロ 中林先生はずっと埼玉にお住まいなのですか?

中林 私は品川生まれで、結婚して貧乏絵描きでした。最初は練馬に住んで、だんだんと遠くに引っ越していって、今の住まい(埼玉県ふじみ野市)は住み始めて40年近くになります。

ヒロ そうでしたか。画廊で紹介する作家も東京で活動しやすいといった理由で埼玉にお住いの方は多いです。

中林 画廊のスタイルとしては、基本的に企画でされているわけですね。

ヒロ 私どもの画廊の業態ですが、一般的な企画画廊と同じように、色んな作家にコンタクトをとって展覧会をお願いしています。絵画、彫刻、陶芸…ひとつひとつの展示や仕事に作家のみなさまとのご縁があって、それにお客様が反応してくださって、今まで経営が成り立っています。展示会の準備や仕事がとんとん拍子で進むケースもあれば、遅々としてすすまない場合もあります。ところがあるときに、今までの点が線となって前進するような……今回は、ヒロ画廊でご紹介しています画家の安藤真司さんがキーパーソンとなってくれて、中林先生の展覧会を開催できることになりました。ちょうど私たちが中林先生にコンタクトを取り始めた頃、先生は香港での個展「枯榮之間」でお忙しくされていました。

中林 香港での個展は当初30点ほどの展示と聞いていたのですが、ギャラリーのキュレーターのアイディアで床置きの展示になったようでした。この方々は日本における僕の展覧会図録を丁寧に読み解き、コンセプトをよく理解しての思い切った展示に行き着いたようでした。

ヒロ 展示動画を拝見しましたが、インスタレーションとしての見せ方が強いですね。

中林 国営放送で取り上げられたようで反響も多く、会期も2ヶ月延長してもらいました。ところで、今回の個展にあたって、具体的なモノがあると展示のイメージがしやすいので、ヒロ画廊の模型を作成しました。

今回の個展に際し、中林氏が作成されたヒロ画廊の模型

ヒロ ここまでの模型をまさか作られると思っていませんでした(笑)。和歌山から埼玉に来る道中「先生の作風は具象というよりも抽象的な要素が強いよね」という話になり、画商間のとりかわす言葉で表すと所謂「難しい絵」になってきます。だからこそ、初期からどう変わってきたのかという変遷を伝える展示作業を丁寧にしたいです。

中林 そうですね、初めての場所での展示なので、作風を全体的に俯瞰できる展示がいいですね。

ヒロ どうしても、一般の方がわかりやすい作風となると、植物や静物・風景といった作風になってきます。一方で、抽象の作品はコレクターとなりうる方と出会うと、大コレクションされる方が出てくる……先生のアトリエに今回お邪魔して、ぜひ生で見ていただきたい思いがより一層強くなりました。お客様方の新たなコレクションがはじまるきっかけの展示会になれば、と。最後に、あまり年齢には触れたくないのですが、先生は現在84歳で、過去のインタビューでも語られているように、戦時下の疎開先である新潟で見た雪の風景が表現の根幹とされています。

中林 作家といっても色んな生き方があるからね。一概には言えないけど……大方の作家は自分探しなんでしょう、作品を通して。自分というのはどこから来てどこに行くんだろう、というのは大きな命題として持っているわけですよ。そういう作家たちというのは、自分の過去に目を向けざるを得ない。過去に目を向けて作品化することによって、そこから「卒業」して次のところへ行く。それが、作家の普通の生き方なんじゃないのかな。

【売約済】転位’07-地-Ⅱ( エッチング・アクアチント・ドライポイント / size 56.0 x 76.5 cm / Ed. 47/50 / 制作年 2007年 )

中林 忠良 Tadayoshi NAKABAYASHI
1937  東京府品川区大井山中町に生まれる
1959  東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻 入学
1963  東京藝術大学 卒業 、東京藝術大学大学院 美術研究科 版画専攻 入学
1965  東京藝術大学大学院 美術研究科 版画専攻 修了
1973  日動版画グランプリ展・グランプリ
1975  文部省派遣在外研究員としてパリ国立美術学校、
ハンブルグ造形芸術大学にて研修(-1976)
1982  第14回日本国際美術展・和歌山県立近代美術館賞
1983  第1回中華民国国際版画ビエンナーレ・国際大賞
1986  ソウル国際版画ビエンナーレ国際大賞受賞
1997  中林忠良-腐蝕銅版画-白と黒の世界展(池田20世紀美術館)
2003  紫綬褒章 受章
2009  「中林忠良-すべて腐らないものはない」展(町田市立国際版画美術館)
2014  瑞宝中綬章 受章
2017  「腐蝕の海/地より光へ- 中林忠良銅版画展」(川越市立美術館)
2019  「中林忠良展 銅版画-腐蝕と光」(茅野市美術館)、
 「中林忠良銅版画展 -腐蝕の旅路」(O美術館)
現在  東京藝術大学名誉教授、大阪芸術大学客員教授、日本版画協会 理事、
    日本美術家連盟 理事長