今村由男

長野県飯田市にお住まいの作家・今村由男さんのヒロ画廊での初個展に際し、同県下伊那郡高森町にあるアトリエを訪れました。

―今村さんは、国内での展示活動と並行して、海外でも精力的な作家活動を展開されています。

今村 最近では、アーティスト・イン・レジデンス(※)の仕事で海外には行くことが多いですね。どの国でも滞在期間は大体1ヶ月です。近年ですと、モロッコ、韓国、スペイン、今年は中国。給料などは出ませんが、旅費や宿泊費は出してもらいます。そのほかには、ヨーロッパを中心に国際展に応募するのですが、受賞すると招待を受けたり、個展をしていただくことも多いです。
※招聘された芸術家が、ある土地に滞在し、作品の制作やリサーチ活動を行なうこと。またそれらの活動を支援する制度。

―海外での活動や、3月には展示前にヒロ画廊にお越し下さったり、フットワークの軽い方という印象を持っています。

今村 69歳ですので年齢なりの不安はありますけどね。海外での仕事は一人で行動する場合が多いので、「ここで倒れたらどうしよう……」なんて思いますが(笑)。あとは、お付き合いのあるアメリカ人の画商さんが熱心に海外に連れて行ってくれますね。エジプト、フィンランド、ベルギー、オランダ……。国内ですと、西日本や関西での個展は少ないですが、ヒロ画廊で終わったら、来年は京都で個展があります。あと、電車での移動は好きですので、地方の仕事だと(移動の車内で)お弁当を食べながらビールを飲んでね。ちょっとした幸せな時間ですよ。

―お若い頃から拠点は長野?

今村 20代前半は東京にいました。実は私、美術大学も出ていないくて絵画の技法に関してはほとんど独学なんです。20代の当時は、フランク・ステラ(1936年 – )、ロバート・ライマン(1930- )、ジャクソン・ポロック(1912 – 1956)……アメリカ現代美術の追っかけでしたね。日本の美術界自体がアメリカの傾向に寄る風潮がありますが、自分なりの現代美術を追究して毎日現代美術展や前衛派の国際展に出品していました。でも実際は、若い頃の考えに軸がない状態ですと美術雑誌に載っている情報や作家が「正しい」と信じてしまうじゃないですか。

―雑誌や本、このインタビュー記事もそうですが、出版業や編集のフィルターを通して一見整えられた「情報」には「載っているから『正しい』のでは」という正当性は醸し出されますね。

今村 そういった「情報」に感化されすぎると「これが現代美術なんだ」と錯覚して、自分が追究したい美術なんだと「幻想」を抱いてしまうんですよね。当時は、キャンバスに大きい号の作品ばかり描いては国内外の公募展に出品して、入選と落選を繰り返していました。「これは駄目だ」となって、長野に帰ってきました。絵がなかなか描けない時期もあって……20代は挫折感が強かったですね。その頃に、「美術手帖」という雑誌の版画特集で、のちに師事することになる中林忠良先生(なかばやし・ただよし, 1937 – , 版画家・東京芸術大学名誉教授)の作品に出会いました。

―長野に帰郷されてからの生活というのは?

今村 帰郷してから30代半ばの本格的な作家活動に入るまでは、それだけでは当然生計を立てられませんでしたので、今村由男デザイン室というデザインスタジオの運営がメインの仕事でした。帰郷してアトリエも構えて、スタッフも数人雇ってデザインの仕事をしつつ、作品作りをしては東京の中林先生の研究室に通って指導を受けて、デザイン業と作家活動と二足のわらじの期間が4、5年位続きました。そうこうしていると、東京都港区芝大門にあるトールマンコレクションという日本の現代版画専門のギャラリーから「扱いたい」と電話をいただきました。ただ、「扱いたい」と言ってもらっても、それまでに売った経験がないので自分自身の作品に値段も何もつけてないわけですよ。けれども、トールマンの方々がアトリエに来られて、作品を一通り見て「この作品は、この価格で」と小切手を出しては値段をパパッと書いて渡されて、話しはとんとんと進んで。自分としては「ワォ!」となりましたね(笑)。あれは、今思い出してもかっこよかったですね。

―今村さんに声が掛かったポイントというのは?

今村 未だによくわからないですね。取り扱いのメイン作家が篠田桃紅さんで、トールマンコレクションには海外のお客様が多いので「日本風」な古典的な作品を求められている作家もなかにはいますね。自分としては、30年以上のお付き合いで、作家としてのチャンスを最初に与えてくれたのもトールマンですし、アメリカ中心にアジアやヨーロッパでも売ってもらって、本当にありがたい存在です。

―作風やご自身の語り口など、とてもお若い印象を受けています。

今村 一種の緊張感から来てるのでしょうね。我々作家は、(仕事や生活について)何の保証もないので「明日はどう生きよう」という不安が常にありますから。ただ、一線で仕事をし続けるというのは、緊張感を要求されることですし、それを保ち続けることだと思いますよ。そうでないと、勝ち残っていけないですから。お付き合いのあるトールマンコレクションも「芸術家であるなら、この道だけでやってくれ」と発破をかけるタイプの画商ですね。過酷な世界ですので……若く見られるというのは、何か差し迫ったイメージがあるのでしょうね。

―その緊張感から、変わっていかないといけないという意識が生まれるのでしょうか。

今村 そういった意識自体はないですが、作風自体はよく変わっていますね。さきほどの篠田桃紅さんのように、ひとつのスタイルで続けられるのは幸せなことだと思います。自分のやりたいことと、世間の評価と需要が一致するわけですから。同じことをずっと続けることも素晴らしいですが……ただ、私の場合は自己模倣みたいになって飽きてしまうので、作風は変わりやすいタイプですね。一方で、観る方にとってのニーズについては常に考えています。例えば、ヨーロッパの方にヨーロッパの古城を描いても親しみはあっても新鮮さは薄いわけです。

―確かに、日本人の私たちが国内のお城や古刹の絵を見て、伝統性はあっても真新しさを感じるか、となれば疑問符が付きます。

今村 日本だと、個展で表現したい世界観、リトルクリスマス展で反応のある作風、海外だと、ヨーロッパ、アジア、アメリカ、各国で異なる反応など、それぞれを棲み分ける努力はしています。というのも、自分が純粋に本当にやりたいことが、形となってずっと売れ続けていくことが一番幸せなんでしょうが……現実ではそうならないですからね。私としては作風や表現スタイルはニーズに合わせて変化はしても、基本的な部分は変わらないですね。

―作風の基本的な部分についてですが、フレスコ画や幾何学模様は、海外の現地で得たイメージが強いのでしょうか。

今村 そうですね。一昨年ですと、クロアチアでの受賞式を兼ねて取材旅行にも行って現地のイメージを捉えてはいますね。国際展に出品していると感じますが、私の作品はまだまだ「日本風」ですね。決して意識しているわけではないですが。トールマンが声を掛けたポイントは、もしかしたら私の中に「日本風」があったからかもしれないですね。

―ご自身のなかでの日本風の原点は?

今村 原点は琳派ですね。金箔使いに、日本の伝統美、空間感覚……今やっていることはまるっきり琳派でしょうね。おそらく、20代のときに追究したアメリカ現代美術の裏返しでしょうね、極端な言い方ですが(笑)。現代美術ですと、伝統的な技法や感覚を排除して、頭の中で構築して、言葉にして、視覚芸術からは離れますからね。当時ですと、デュシャンも出てきたりして……その辺りへの反発が私の中であったのだと思います。

―反発の原動力となる、お若い頃の不本意な「タメ」があって、現在の今村さんがある。

今村 当時は無理をしていましたね。「はやり」とされる現代美術に身を置いているものの、いくらやってもラチが明かない。一方で、自分に嘘をついている感覚だけは大きくなっていったわけです。海外や外に出向く反面、じっくりと版に向き合う今のスタイルは若い頃の反動でしょうね。20代は悩みに悩んでいましたが、そういう不本意な時期に中林先生の版画を見てからでしょうか、自分にとっての転機は。「こういう(版画の)世界だったら、自分に嘘を言わなくて作品作りが出来るかな」と思えて。それからですよね、作家としてのスタートは。


The Moon(2019年エッチング/メゾチント/箔/木版 62㎝×94㎝ ed20 2019年中国Guanran国際版画ビエンナーレ 最高栄誉賞受賞作品)

[略歴]
今村 由男(いまむら よしお)
1948 長野県に生まれる。 独学で版画を始め、銅版画家・中林忠良氏に私淑する。
1989 日本版画協会展・準会員賞、ニューヨーク国際ミニアチュールプリントビエンナーレ受賞、
バラトヴァバン国際版画ビエンナーレ・特別賞、日仏現代美術展・佳作賞(90年フランスソワール賞2席、フィガロ賞3席)
1991 アトリエコントルポワン(パリ)に留学し、1版多色刷り銅版画を学ぶ
1995 パシフィックリム国際版画展・ハワイ州教育・芸術財団買上賞(1997、2000年)
1997 文化庁特別派遣在外研修員としてパリ、アトリエコントルポワンに留学
1998 フィンランド国際ミニプリント展・特別賞
2000 カダケスミニプリント展・受賞。翌年審査員を務める。
2008 ニュージーランドパシフィックリム国際版画展・審査員特別賞
2009 ソウル空間国際版画ビエンナーレ・買上賞、スプリット国際グラフィックアートビエンナーレ・特別賞(クロアチア)
2011 CWAJ現代日本版画展・第1回運営委員会賞、モロッコのアートフェスティバルに招聘され滞在制作を行う。
2017 スプリット国際グラフィックアートビエンナーレ・グランプリ(クロアチア)