紙の表現 奥野誠・奥野佳世展

2018年6月15日[金]ー 6月24日[日]11:00am -6:00pm

[略歴] 
奥野 誠(おくの まこと)
1975 武蔵野美術大学造形学部油絵専攻卒業
1977 大阪にアトリエを構え、関西、東京を中心に作品を発表する
1984 龍神国際芸術村へ移住、その運営に携わる 紙漉きと、 その技法による作品の制作を始め、 紙漉きワークショップ・展覧会を各地で開催
1988 芸術村開村5周年記念展を企画、開催
2006,07和歌山大学紀南サテライト授業「現代社会と紙漉き」開講
2008,09山路紙 紙漉き工房開設
2011 全国手漉和紙青年の集い和歌山大会を龍神で主催
2013 龍神国際芸術村開村30周年記念芸術祭、「Art in 龍神村」開催
2016 和歌山県名匠表彰を受ける
2017 名匠表彰受賞記念展(県民文化会館、和歌山市)、
奥野誠紙の世界展(紀南文化会館、田辺市)、東京都中央区区民講座にて講演

奥野 佳世(おくの かよ)
1975 武蔵野美術大学造形学部油絵専攻卒業
1976~84大阪の公立中学、高等学校にて美術指導
1984 アートスペース虹(京都)にて個展  龍神村に移住、龍神国際芸術村アートセンターにて村おこしの活動を始める 紙漉き、草木染による創作活動を始め現在に至る
1992~ 東京、北海道、和歌山、大阪、三重、兵庫などにて展覧会開催
2012~14草木染和紙薄様の研究と製作(助成 公益法人ポーラ伝統文化振興財団)
2017 東京都中央区区民講座にてワークショップ講師
奥野誠・佳世二人展(みやまかやぶき美術館、南丹市)、二人展(ギャラリー砌、東大阪市)

 

上砂理佳展


2018年6月1日[金]ー 6月10日[日]11:00am -6:00pm

[略歴] 上砂 理佳(かみすな りか)
1990 大阪造形センターイラストレーション科卒業 銅版画を始める
1992 現代版画コンクール展(大阪府立現代美術センター)
1993 93版画展(大阪) 「R2の世界」銅版画二人展(大阪)
1994 第20回現代童画展新人賞(東京都美術館)
1995 アールナイーフグランプリ選抜展(東京青山 ギャラリーEAUX)、月刊MOEイラストコンクールWINDOW 準グランプリ、銅版画五人展「エッチングオラトリオ」(大阪)
1997 イラスト&銅版画個展「びいどろ絵本館」(大阪) イラスト三人展「三ツ星のエチュード」(東京銀座)
1998 銅版画個展(神戸)
以後毎年、東京・大阪・浜松・和歌山など、全国での展示会活動を多数重ねる。

 

中林忠良

銅版画家・中林忠良氏の個展に際し、埼玉県にあるアトリエでお話を伺いました。

中林忠良(以下、中林) 廣畑さんというお名前から「ヒロ画廊」と名付けられたわけですね。

ヒロ画廊 代表 廣畑政也(以下、ヒロ) はい、苗字が由来なのと、気持ち的にも末広がりに「広がっていけば」という意味も込めて開廊しました。画廊の近くには紀の川が流れていまして、たまに氾濫して困ったりもするのですが、もともとは祖父の代までは農業が家業で、父は勤めでしたので、私がこういった仕事を生業として始めたのは突然のことでした。

中林 そうでしたか。画廊が高野山の麓にあると聞いて、学生時代に高野山のお寺で泊まったことを思い出しました。確か途中、電車を降りてケーブルカーであがっていったような……。

ヒロ 今でもケーブルカーはあります。他県の作家が来場された際は、その足で高野山詣りする方もいらっしゃいますね。

中林 もう数十年前のことなので記憶も曖昧ですが、全く知らない場所でもなさそうですね。


銅版画家 中林忠良 氏

ヒロ 中林先生はずっと埼玉にお住まいなのですか?

中林 私は品川生まれで、結婚して貧乏絵描きでした。最初は練馬に住んで、だんだんと遠くに引っ越していって、今の住まい(埼玉県ふじみ野市)は住み始めて40年近くになります。

ヒロ そうでしたか。画廊で紹介する作家も東京で活動しやすいといった理由で埼玉にお住いの方は多いです。

中林 画廊のスタイルとしては、基本的に企画でされているわけですね。

ヒロ 私どもの画廊の業態ですが、一般的な企画画廊と同じように、色んな作家にコンタクトをとって展覧会をお願いしています。絵画、彫刻、陶芸…ひとつひとつの展示や仕事に作家のみなさまとのご縁があって、それにお客様が反応してくださって、今まで経営が成り立っています。展示会の準備や仕事がとんとん拍子で進むケースもあれば、遅々としてすすまない場合もあります。ところがあるときに、今までの点が線となって前進するような……今回は、ヒロ画廊でご紹介しています画家の安藤真司さんがキーパーソンとなってくれて、中林先生の展覧会を開催できることになりました。ちょうど私たちが中林先生にコンタクトを取り始めた頃、先生は香港での個展「枯榮之間」でお忙しくされていました。

中林 香港での個展は当初30点ほどの展示と聞いていたのですが、ギャラリーのキュレーターのアイディアで床置きの展示になったようでした。この方々は日本における僕の展覧会図録を丁寧に読み解き、コンセプトをよく理解しての思い切った展示に行き着いたようでした。

ヒロ 展示動画を拝見しましたが、インスタレーションとしての見せ方が強いですね。

中林 国営放送で取り上げられたようで反響も多く、会期も2ヶ月延長してもらいました。ところで、今回の個展にあたって、具体的なモノがあると展示のイメージがしやすいので、ヒロ画廊の模型を作成しました。

今回の個展に際し、中林氏が作成されたヒロ画廊の模型

ヒロ ここまでの模型をまさか作られると思っていませんでした(笑)。和歌山から埼玉に来る道中「先生の作風は具象というよりも抽象的な要素が強いよね」という話になり、画商間のとりかわす言葉で表すと所謂「難しい絵」になってきます。だからこそ、初期からどう変わってきたのかという変遷を伝える展示作業を丁寧にしたいです。

中林 そうですね、初めての場所での展示なので、作風を全体的に俯瞰できる展示がいいですね。

ヒロ どうしても、一般の方がわかりやすい作風となると、植物や静物・風景といった作風になってきます。一方で、抽象の作品はコレクターとなりうる方と出会うと、大コレクションされる方が出てくる……先生のアトリエに今回お邪魔して、ぜひ生で見ていただきたい思いがより一層強くなりました。お客様方の新たなコレクションがはじまるきっかけの展示会になれば、と。最後に、あまり年齢には触れたくないのですが、先生は現在84歳で、過去のインタビューでも語られているように、戦時下の疎開先である新潟で見た雪の風景が表現の根幹とされています。

中林 作家といっても色んな生き方があるからね。一概には言えないけど……大方の作家は自分探しなんでしょう、作品を通して。自分というのはどこから来てどこに行くんだろう、というのは大きな命題として持っているわけですよ。そういう作家たちというのは、自分の過去に目を向けざるを得ない。過去に目を向けて作品化することによって、そこから「卒業」して次のところへ行く。それが、作家の普通の生き方なんじゃないのかな。

【売約済】転位’07-地-Ⅱ( エッチング・アクアチント・ドライポイント / size 56.0 x 76.5 cm / Ed. 47/50 / 制作年 2007年 )

中林 忠良 Tadayoshi NAKABAYASHI
1937  東京府品川区大井山中町に生まれる
1959  東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻 入学
1963  東京藝術大学 卒業 、東京藝術大学大学院 美術研究科 版画専攻 入学
1965  東京藝術大学大学院 美術研究科 版画専攻 修了
1973  日動版画グランプリ展・グランプリ
1975  文部省派遣在外研究員としてパリ国立美術学校、
ハンブルグ造形芸術大学にて研修(-1976)
1982  第14回日本国際美術展・和歌山県立近代美術館賞
1983  第1回中華民国国際版画ビエンナーレ・国際大賞
1986  ソウル国際版画ビエンナーレ国際大賞受賞
1997  中林忠良-腐蝕銅版画-白と黒の世界展(池田20世紀美術館)
2003  紫綬褒章 受章
2009  「中林忠良-すべて腐らないものはない」展(町田市立国際版画美術館)
2014  瑞宝中綬章 受章
2017  「腐蝕の海/地より光へ- 中林忠良銅版画展」(川越市立美術館)
2019  「中林忠良展 銅版画-腐蝕と光」(茅野市美術館)、
 「中林忠良銅版画展 -腐蝕の旅路」(O美術館)
現在  東京藝術大学名誉教授、大阪芸術大学客員教授、日本版画協会 理事、
    日本美術家連盟 理事長

岩切裕子

2020年3月にヒロ画廊で岩切さんの個展を初めて開催しました。それ以降、コロナ禍が本格化してしまいましたが、制作姿勢の変化もあったのではないでしょうか。

 この2年間、最大の変化は夫が在宅勤務になったことです。以前日中は自宅アトリエでひとり自由にやっていた生活のリズムが崩れ、緊急事態宣言で準備していた展覧会は中止になり、世界中が停止してしまったようで途方に暮れました。ですが、もっと厳しい状況に立たされている方々もおられるのですから、私だけ安穏と作品を作って発表するような贅沢はもう許されないかもしれないとも思いました。
 外出もままならず、美術館も休館が続く中、絵を見に行きたいという思いが日に日に募りました。いままで当たり前のように享受していたものが突然無くなってしまった分、NHKの日曜美術館の録画を何度も見ながら飢えた気持ちを鎮めたものでした。そしていち早く現代美術館が再開した初日には、文字通り飛んで行きました。マティスがカバーと内装を手がけた大型本「Verve」と「Jazz」には心身ともに癒されるような心持ちがしました。入館者も少なく、ほとんど会場を独り占め状態。自粛の鬱憤を晴らすように隅から隅まで舐めるように見て、自分だったらどういう風に作り、どう見せるだろうかなどと考えながら至福の時間を過ごしました。
 そしてあらためて気づいたのは、やはり自分はものを作ることが何よりも好きなのだということ、それを見せる場所がないのがこんなに虚しいものなのだということでした。自分が制作できるのも、その発表の場があるのも決して当たり前ではなく、それを見る人に届けることができるのはこれ以上ないほどの幸せなのだということでした。
 ウィーンフィルの指揮者リッカルド・ムーティが、2021年の無観客開催のニューイヤーコンサートを前に言っていました。音楽のない、芸術のない人生は味気ないものだと。芸術はあってもなくてもすぐには困らないものかもしれません。でもそれを失ったとき、どれほど空虚な思いを抱くものかということが身に沁みてわかりました。コロナ禍で多くの人が苦しみ、多くのものを失ったのは悲しい事実ですが、それであらためて気付かされたこともたしかにあったのです。

版画でも銅版画や石版画など種類があるなか、木版画を選ばれたきっかけというのは?

 私が学生だった80年代当時は、現代美術の全盛期といって良い時代だったと思います。絵が描きたくて美大の油画科に入ったものの、周りはコンセプチュアルアート一色、それはそれでリアルタイムに面白い経験もしましたが、私としてはやはり絵が描きたかった。どうやらそれができそうなのは版画だと思い、興味を持ちました。最初は銅版をやるつもりでしたが、金属の質感にどうしても抵抗があり、エッチングでは腐食の時間がさっぱりわからずにすぐさま断念しました。同様にリトは薬品がうまく使えず、描いたものがそのまま反転して出てくるのが物足りなくてやはり断念。消去法で残ったのが木版だったというのが本当のところです。木版だけはあり得ないと思っていましたが。
 なぜなら銅版もリトも線で描くことができますが、木版では仮に細い線を使いたくても、彫刻刀で彫るそれは柔らかさにはほど遠い稚拙なものにしかなりません。そこで描線という概念をいったん捨て、色面で考える必要がありました。

 小川洋子と堀江敏幸による架空の往復書簡で構成された「あとは切手を、一枚貼るだけ」 。友人からのエアメールをコラージュした外函に、14 通の書簡に合わせた版画14点を収めた作品。

時計回りに彫刻刀、バレン3種、モデリングペースト、筆、サンダー、マチエール版

 多摩美の木版はアカデミックなところがなく、よく言えば非常に自由、反面ほとんど野放し状態でしたので、自分で何とか創意工夫するほかありませんでした。私は油画科出身だったので(3年次から選択で版画)、油彩のように柔らかいタッチは出せないかと試行錯誤した結果、在学中に現在のようなマチエール版による技法にたどり着きました。私の作品は一見すると木版には見えないかもしれません。油彩のようなタッチが欲しければカンヴァスに描けば良いだろうと思われるかもしれません。ほとんどの版画家がそうだと思うのですが、油彩や水彩のような直接技法ではなく、七面倒くさい版を介した間接技法が性に合っているのです。たぶん作品に対するアプローチの仕方が違うのだと思います。照れ屋なのかもしれません。自分の高揚した感情を画面に直接ぶつけるのが苦手なのでしょう。下絵を描き、それをトレースして版を起こす手間と時間をかけるうちにだんだんと自分が冷静になり、ともすれば作品から遠ざかり、客観的になっていくように思えてきます。出来上がった作品は自分の感情からはずいぶん離れたところに存在しているような気がします。この感覚は、版画という間接技法ならではないかと思います。 また、木版の魅力のひとつは木目の美しさです。これだけは油彩でもほかの版種でも得られないものです。「版が仕事をしてくれる」とよくいいますが、狙い通りに木目を生かせたときには、自分の力の及ばないものが働いているような気さえします。

普段、制作で大切にしているアイテムはありますか?

 木版は凸版ともいわれます。凸面に載せられたインクを摺りとることが基本です。この凸面は彫刻刀で彫って作るだけではありません。異素材を貼り付けて版にすることをコラグラフといいますが、これはフランス語のcollage(貼り付けるの意)とgraphic(版画の意)を合わせた造語です。古くは月岡芳年も部分的に布地を板木に貼り付けて空摺り(エンボス)に用いていました。近年では木版画家の萩原英雄さんなども取り入れられるなど、現代版画では比較的ポピュラーな技法です。私の技法のベースはこのコラグラフです。これをマチエール(素材)版と呼んでいます。この版を作る際に、モデリングペースト(アクリル絵具用の溶剤)を筆などで載せていきます。そこに油性インクを載せて摺り、乾いたのちに水性版を重ねることで木版でありながら油彩画のような筆触、柔らかなタッチを得ることができます。この技法は言葉だけではなかなか伝えづらいのですが、これはほんの一例です。版画家は道具好きな人が多く、私もその例に漏れずさまざまなものを使用します。彫刻刀やバレンは言わずもがなですが、とくにどの道具が大切というよりも自分が表現したい手段として何が必要かが重要になります。画家が筆や絵具を選ぶのと同じです。
 制作の際によく手に取るのはやはり画集です。実際に訪れた展覧会の図録を含めると、画集は何冊あるのかわからないほどです。意外?にも現代版画はそれほど多くなく、普段開くこともあまりありません。タブローが多くを占めていますが、浮世絵や琳派、仏像仏画、陶芸やガラスなども時折眺めています。
 よく手にするのはクリムトの風景画だけを集めた画集です。これは現在神奈川県立近代美術館の館長をしておられる水沢勉さんが翻訳・監修に当たられたもので、私が(空想上の)風景画を制作するきっかけとなったものです。主にオーストリア南西部の湖周辺を描いたタブロー(全て正方形)で、絢爛豪華なクリムトのイメージとはかけ離れた、とても穏やかで幸せな風景画です。画集なので愛読書という言い方が適切かどうかわかりませんが、あえて言うならこれがいちばん大切なアイテムかもしれません。

クリムト画集 Die Landschaften Johannes Dubai 著 水沢勉訳 リブロポート発行

 画集など視覚的なものだけではなく、本を読むこともとても重要です。本を読まないと作品が作れないと言っても過言ではありません。本をテーマにした作品も作っています。読むのは小説が多いですが、詩集やノンフィクションなども。言葉を追いながら新しいイメー ジが広がっていくのを待つのです。いろいろな言葉のかけらから目の前に広がる風景を想像し、構築していきます。
 作業そのものには直接関係ありませんが、音楽のCDもなくてはならないものです。アトリエでは必ず何かをかけています。主に弦楽やピアノ曲が多く、とくに好きなのはバッハとブラームスで、グレン・グールドのバッハは飽きるほど聴いています。グールドは来日したことはないはずですが、日本贔屓?だったようで、漱石の草枕が愛読書だったそうです。グールドの住まいがあったトロント郊外の湖の風景を、いつか作品にしてみたいと思っています。

今、訪れたい場所や会いたい人を教えてください。

 小学校からの同級生が小さい頃からヴァイオリンをやっていて、高校卒業後ウィーンに渡りました。当時はメールどころか電話もおいそれとはかけられず、手紙だけが唯一の通信手段でした。まだ見ぬ異国からのエアメールを心待ちにしたものです。大学生になってから何度か彼女のところを訪れています。ウィーンは何といっても音楽の街です。オーケストラに所属した彼女にくっついて、コンサートやオペラに連れて行ってもらいました。モーツァルトの「魔笛」や「レクイエム」など、何もかもに魅了され、圧倒されました。  音楽のみならず、ウィーンは美術館も充実しています。ハプスブルク家が誇る圧倒的なコレクションの数々を見ることができます。クリムトの風景画と最初に出会ったのも、夏の離宮であったベルヴェデーレ美術館でした。そして分離派美術館、圧巻のベートーヴェン・フリースに出会えます。前回ウィーンに行ったのは3年前。いまでは電話も気軽にかけられるし、顔を見ながら話すこともできますが、やはり彼女や彼女の家族にまた会いたい。そして音楽や美術にどっぷり浸かりたいと願っています。

ウィーン分離派美術館 (Secession) クリムト生誕150年記念で特別に足場が組まれ、ベートーヴェンフリースを目の高さで見ることができました(2012年)。

作風から北欧のイメージが湧いてきますが、影響を受けられた作家というのは?

 前述しましたが、ウィーンではクリムトやシーレ、フンデルトヴァッサーの作品に触れる機会が多く、またブリューゲルやボスなどフランドル派の作品も充実しています。それらには少なからず影響を受けていると思います。北欧には行ったことがありませんが、最近ハマスホイなどデンマークの画家も好きです。2年前、コロナで展覧会が中止になって本当にがっかりしたものです。日本の作家では有元利夫さん、画面からチェンバロやリュートの音が聴こえてきそうで、絵から音楽を喚起させるということにはいまだに憧れを持っています。
 これらの作家とは時代も作風も異なりますが、マーク・ロスコも好きな作家です。いつまで見ていても飽きることのない静かな佇まい、絵の前から離れ難くなるような強烈な存在感、それでいて何かを思い起こさせる既視感、その先に何があるのだろうといつも考えさせられます。  たとえば画廊や美術館で一度通り過ぎたあとに何か気になって、もう一度戻って同じ作品の前に立つことがあります。そんな風に強烈ではないけれど何となく頭の片隅に残る、もう一度見たい、あるいはずっと見ていたいと思ってもらえる、作家としてはこんなに幸せなことはありません。

ウィーン美術史博物館での特別展示 マーク・ロスコ展 (2019年) たまたま開催されていて大喜びしました。

「elm tree house Ⅰ」 2022年 木版画 画寸 17.0 x 16.0cm

「auf den Balkon」 2011年 木版画 画寸 52.0 x 19.0cm

岩切 裕子 Yuko IWAKIRI
1961 東京都渋谷区生まれ
1988 多摩美術大学大学院美術研究科修了(木版画専攻)
1989 平成元年度文化庁芸術家国内研修員
現在 日本版画協会理事、日本美術家連盟会員
作品収蔵:文化庁、町田市立国際版画美術館、練馬区立美術館、宮崎県立美術館、
相生森林美術館(徳島県)、黒部市美術館(富山県)、須坂版画美術館(長野県)、
HOKUBU絵画記念館(札幌市)、国立浙江省美術館(中国)