川野恭和

今から90年前、大正期の日本において、社会を「美」で変革しようとした珍しい運動が若者たちによって唱えられました。庶民の生活や日常の雑器にある、自然の恵みや伝統の力、生活の力を含んだ実用品にこそ確かな「美」が潜んでおり、富貴に飾られた美術品でなく名も無き日用品にこそ、本物の美が潜んでいるという思想が造り出されました。

1926(大正15)年1月、「民藝運動」と称されたその運動を率先した思想家・柳宗悦は、盟友である河井寛次郎・濱田庄司らとともに、日本各地の民衆的工芸品を蒐集する旅の中、木喰上人の日記を頼りに寄った紀州で、雪道の坂を踏んで高野山に登りました。そこで、現在も宿坊を運営されている西禅院で泊まった三人は「日本民藝美術館設立趣意書」を書き上げ、その趣意書をもとに「民藝」の歴史は動き始めました。

今回ご紹介する川野恭和さんは、瀧田項一(栃木県文化功労者)に師事され、現在、国画会の工芸部門において後進を先達する立場にもあります地元鹿児島県をはじめ東京銀座、関西ここヒロ画廊など全国各地で作品発表を行われています。民藝の思想をベースに牢乎とした美しさを1点1点の作品に注ぎ込まれ洗練された白磁に丁寧に削がれた鎬や面取り定番のコーヒーカップや花器ティーポットをはじめ食器全般を中心に制作されています 。実際に窯を訪れたことのなかった私は今回の個展にあたり鹿児島県を訪れました。 

艸茅窯(そうぼうがま)は、鹿児島県伊佐市大口の市街地から離れ、広々とした田畑に囲まれた場所にあります。 この地で約30年前より生活され、窯を運営される川野ご夫妻。お二人は、宮城県で約40年前に開催された日本民藝青年夏期学校で出会われました。川野さんは窯業の訓練校を卒業されて陶芸家として駆け出しの頃、奥さまの經子(けいこ)さんは父のすすめにより夏期学校に参加され、そのときの講師は前出の濱田庄司でした。

「陶芸も絵もそうだけど、それらを生業にして喰っていくことは並大抵じゃない。けど、その点はお義父さんが文化や美術に対する造詣が深いことで、(結婚することに)理解してもらえました」經子さんの父は仙台・丸善(現・丸善雄松堂書店株式会社)の書店員で西洋文化や陶芸にとても理解のあった方でした。

「(お義父さんは)仙台の丸善で企画された、長谷川利行展でも自分で作品を買って楽しんでいました。(經子さんと)付き合いだして間もない頃、書店員だけに家に行くと作家の面白い本がいっぱいありました。なかでも秋岡芳夫と安野光雅。二人とも駆け出しのころだったけど、書店でもそういった『この作家は売れるぞ』という才能の原石ある作家の本を平積みにしては、お客さんに紹介していたようです。読書週間になれば、仙台の各所でよくエッセイも書いていました。長谷川利行もそうだし、秋岡、安野……美術や陶芸に対する先見の明は確かにあったのだと思います」当時、丸善は近代日本における西洋の文化・学術紹介に貢献し、その気風は「丸善文化」と呼ばれていました。前述の民藝運動が盛んな頃、『白樺派』の若者たちは丸善から欧州の新しい芸術思想を仕入れ、バーナード・リーチと議論を戦わせたといいます。梶井基次郎『檸檬』や芥川龍之介『歯車』にも当時の丸善文化を示唆する描写が作中には残されています。  

「鹿児島に嫁いでから働きに出たことがないんです」そう言い切られる經子さん。ご主人の陶芸制作を付きっきりでサポートし、傍らでは4人のお子さんを育てられました。一方、東京の展示会では必ず同伴し、作品の説明やお客様の生の声を聞かれています。「うち(艸茅窯)で作っているものは、食器としたら安価ではないです。でも永く楽しんでいただけるのは間違いないですし、コンクリートに落としても割れないときもあります。それに、陶芸家にしろ、ものを作る人って説明や、そんなお話しをされないでしょ。主人もよく喋るようになったのは、年を重ねてからですね」 「かみさんには助けられっぱなしですよ。俺が生きるか死ぬかってぐらいしんどいときでも、家の戸締まりを確認してから病院に連れて行きますから。それほどいつも落ち着いています」二人の会話からは、夫婦として、パートナーとしての強い結びつきを感じさせられます。

約一世紀前に若者たちの狂熱をともなって高野山で胎動の一つが生まれた民藝。運動に奔走した濱田庄司、濱田に師事した瀧田項一がいて、彼らに薫陶を受けた川野恭和さん。
和歌山の画廊で、善く生きることを精一杯動き考えた陶芸家たちが創り継がれている「用の美」をご覧いただくことは、決して因縁めいたものではなく、日本人のライフスタイルに民藝の精神が茫洋と漂っている証しであり、世代を超えた清廉さと情熱の結晶にちがいありません。日常の限られたその瞬間を美で豊かにすることにこそ、柳らが追い求め続けた無心の「用の美」であり、川野さんが唱えられている「壷にはまった繰り返しの仕事」が生きるのだと確信しております。

[略歴]
川野 恭和(かわの・みちかず)
1949 鹿児島県曽於郡志布志町生まれ
1974 愛知県立瀬戸窯業専修訓練校 卒業 瀧田項一氏(栃木県文化功労者)に師事
1980 鹿児島県大口市に築窯
1981 日本民藝館展初入選
1984 国展初入選
1985 国展前田賞受賞
1991 日本民藝館展奨励賞受賞
2003 国画会会員に推挙 現在 国画会会員

構成・撮影 廣畑 貴之