橋本康彦

—現在、大阪府・千早赤阪村で生活と制作をされている橋本さんは、お若い頃に高村光雲の孫弟子・澤田政廣さんに弟子入りされています。

橋本 20代の頃は、芸大受験の為に浪人したり、違う仕事に就いたりして、東京にいました。師匠となる澤田政廣に出会い、住み込みの修行生活に入ったのが25歳のときです。師匠は、私が入門した当時で84歳で、すでに文化勲章も受章されて当代の木彫の第一人者で、1尺300万位で仏像を売られていたと記憶しています。

—「住み込み修行」というのが、想像つきません。

橋本 徒弟制度のようなものですが、最近は耳にしないですよね。休みは月に2日だけで、給料も無いに等しくて……現代では耐えられないと思います。毎日、師匠が起きる前に起きて静かに支度をして、師匠のノミを研いでおいて、粘土を耳たぶの柔らかさまで捏(こ)ねておくとかね。気遣いは大変でしたが、今思うと濃密な時間で、5年間の修行はとても勉強になって面白かったです。その後、30歳になって結婚を機に住み込みから卒業し、妻が妊娠したこともあって、一旦は福島県に戻り、東京の師匠のもとまで通って仕事をし、仕事をもらっては地元で制作をして東京に作品を送るといった、そういう生活でした。

—その後、国際交流基金の支援で、アメリカに渡られています。

橋本 澤田一門で独立して山梨で仕事をしていた先輩から「10メートルのお不動様を作ろう、それもアメリカで」と提案があり、まず私たち家族が渡米して、友人を介して新妻實先生(彫刻家・1930年 東京都生まれ。1955年 東京芸術大学彫刻科卒業 コロンビア大学助教授など歴任)と知り合いました。「日本の伝統文化を紹介するために、お不動様を制作したい。けれども、作る場所が無い」と伝えていると、新妻さんを介してメリーランド美術大学のフレッド・ラザルス学長が制作スペースとして大学内の一部を、スポーツ会社「HEAD」のハワード・ヘッド社長はカナダの上質なイエローシダーを提供してもらうなど追い風も吹きました。

—苦心されたこともかなり多かったのではないでしょうか。

橋本 他のスタッフ2人は日本に行ったり来たりでしたので、1年で作るつもりが3年にずれ込んだり、どうしても私1人で彫る時間が長くなりました。、納品先は、ニュージャージー州にあるベクトン・ディッキンソン社という医療機器の会社で、本社ビルのメインフロアに設置してもらえました。医療機器の会社として、人間と自然の調和を示す東洋的な作品を置きたかったようです。

—帰国後の生活と制作というのは?

橋本 帰国後は地縁は全く無かったのですが、福島県の知人の紹介と妻の提案もあって京都・西陣の長屋に住むようになりました。京都御所まで徒歩5分の、楽しい場所でした。

—西陣のような街中で彫刻の制作スペースを確保するのは容易ではなさそうですが……。

橋本 妻が通い始めた柳田宗葩(そうは)先生の茶道教室を通じて、織屋の奥さまから使っていない工場を制作スペースとして紹介してもらいました。そこから、京都での生活と制作の全てが始まりました。ただ、移住して10年目に、借りていた西陣織の工場の制作スペースも閉鎖になるとのことで、急きょ引っ越し先を探すことになりました。千早赤阪村には、兵庫県西宮市の画商さんを通じて、古民家に住んで15年になります。おかげさまで村で制作が出来て、知り合いも徐々に増えてきて、一昨年はヒロ画廊で、去年は10年ぶりに阪急うめだでの個展も開催してもらいました。

—お話しをうかがって、ひとつひとつの出会いを大切にされているように感じました。

橋本 今思うと、みんなご縁です。妻も含めて、自然に身を任せて直感で生きるタイプだと思っています。狩猟民族じゃないですが、一つの場所に留まり続けるタイプではないですね。今後も、千早赤阪村からどこかに移るかもしれません。


河鍋暁斎より「猫又」 16 x 21 x 34 cm クスノキ・顔彩・金箔

[略歴]
橋本康彦(はしもと・やすひこ)
1954年(昭和29年) 福島県いわき市に生まれる
1979年(昭和54年) 澤田政廣 に師事 高村光雲一門となる
1980年(昭和55年) 日展・日彫展入選
1984年(昭和59年) 日彫賞受賞
1990年(平成2年)  メリーランド美術大学客員芸術家(国際交流基金人物交流)、不動明王立像建立(ベクトン・ディッキンソン本社設置)(~1992年)
1994年(平成6年)  新妻實からの継承展Ⅰ(山梨県立美術館ほか)、僧形文殊菩薩像建立(盛永宗興老師発願 大珠院ウェスト安置)
1996年(平成8年)  アメリカ・カービングスタジオ客員講師、新妻實からの継承展Ⅱ(関ヶ原マーブルクラフト)
1999年(平成11年) 阪急百貨店梅田本店個展(2001年、2003年開催)
2000年(平成12年) 石田梅岩像建立(京都府亀岡市)
2001年(平成13年) 東急百貨店渋谷本店個展
2005年(平成17年) おおつき画廊個展(福島県福島市)
2007年(平成19年) おおつき画廊個展、フットクリエイト個展(京都)、彫刻シンポジウム(関ヶ原)
2008年(平成20年) いわき市石炭化石館個展(いわき市)第23回国民文化祭茨城県実行委員会会長賞受賞
2017年(平成29年) ヒロ画廊(和歌山)個展
2018年(平成30年) 阪急百貨店うめだ本店 個展

学文路天満宮

ヒロ画廊 代表 廣畑政也(以下、ヒロ)今日、菅野さんにお話しを伺うにあたって、学文路天満宮の歴史を改めて調べましたら、建立から900年も経っているんですね。それだけ歴史のあるスポットとなると地域の中でも少ないですよね。地域の方々にとったら、子どもたちの七五三でまずお世話になるのもこちらですし、馴染みのある場所です。この10月も正遷宮がありますが、正遷宮委員会地区役員として微力ながらお手伝いさせていただきました。その際、実行委員の方々にお話しを色々と伺いましたら「こういう時代だから、自分たちから下の世代は天満宮に馴染みが薄いのも仕方がない」という声もあった一方で、驚いたのが天満宮の氏子崇敬者である各地区(学文路・南馬場・西畑・清水・賢堂・向副・横座)の方たちが氏子さんとして非常に協力的でいらっしゃることです。

学文路天満宮 菅野一三(以下、菅野)本当にありがたいことです。近隣のお宮さんを取り巻く状況ですと、橋本市と伊都郡で現在64社の神社があります。その中で「宮司」と肩書きのある方は11名いらっしゃいます。1人で数社の宮司を兼務されている方も少なくはありません。最寄りの天満宮ですと、和歌山市の和歌浦天満宮になります。ですので、遠方からお参りくださる方は多いです。最近ですと、2017年に鍋谷峠道路が開通しましたので、泉南からお出くださる方も増えてまいりました。電車ですと、10年前に阪神電車がなんば駅に乗り入れたこともあって、兵庫県からお出でになる方もいらっしゃいますね。

(写真 左)ヒロ画廊  廣畑 政也(ひろはた まさなり)

ヒロ 学問の神様・菅原道真公を祀られていますが、南海電鉄とタイアップされた、合格祈願の入場券や「すべらない砂」もずいぶん長く続いていますよね。

菅野 もう30年以上経ちますね。参拝者の声を聞いておりますと……合格祈願の入場券は学文路駅で買いたいという方が多いように感じています。

ヒロ 学文路駅も無人駅になっていますし、入場券自体は学文路駅では販売していなくて、近くの主要駅である橋本駅などで皆さん購入されていますね。

菅野 せっかくだから、学文路駅に入場して、駅員さんから買って、学文路駅に「入って」買いたいそうです。入場券を購入されたその足で、天満宮に寄られる方々は非常に多いですね。

ヒロ アクセスという点ですが、ヒロ画廊も繁華街にあるわけではありませんし、大きな駅の近くでもないですし、通りすがりではまず入ってこられません。天満宮も近年ですと、紀の川フルーツライン(紀ノ川左岸広域農道)から来ることも出来ますが、大多数の方は下道から来られると思いますし、決して利便性のよい場所にある神社、というわけではありません。

菅野 その分、出来る限りの美しさを保つように努めています。ありがたいことに「きれいで気持ちが良い」と言って下さる方も多いです。

ヒロ 「心のよりどころ」と言ったら大げさかもしれませんが、神社の役割のひとつには違いないですよね。少なくとも私は、小さい頃から「天神さん」と呼んで距離の近い感覚があります。画廊に遊びに来られる方で受験生のお子さんやお孫さんを持たれていらしたら、学文路天満宮は話題になるスポットの一つです。

菅野 「ここに来たら、ホッとする」と言っていただくことが、一番ありがたいですね。お宮さんの役割のひとつは、自分の心を整える場所であることには違いないです。たとえば、学文路天満宮もそうですが、どこの神社でも鏡が置いてあると思います。鏡を通して神様と自分が向かい合い、清らかな心でお参りをする、そんな役割も鏡は担っているのです。参拝してもらって、何かしらの心の栄養を蓄えてもらえれば、とは思っております。絵画もそうですよね。

ヒロ 規模や歴史も、私どもと天満宮さんは全く違いますけれども、「ホッとする」「元気になる」という点では、共通すると思います。私たちの仕事は、美術作品を紹介する仕事ですが、絵や美術品となると投機の対象として紹介したり捉える方も中にはいらっしゃいます。ですが、私どもとしては、生活に少し潤いが出れば、というスタイルです。お宮さんのように、静寂な空間があることで地域を潤す、ことと少しは共通しているのかなと思います。

菅野 最初に触れていただいた正遷宮ですが、今回が約40年ぶりです。このたびの正遷宮に際し、みなさまのおかげで天満宮を美しくしていただきました。これを維持し、次代に繋げる責任感も一層大きくなりました。

ヒロ 私は、役回りも含めて、菅野さんにこのように改めてお話しを伺えて、何かのご縁なのかなと今では感じています。

学文路天満宮 菅野 一三(すがの いつぞう)宮司

学文路天満宮
〒648-0044 和歌山県橋本市南馬場821−1
TEL 0736-32-5582
ヒロ画廊より徒歩12分 南海高野線 学文路駅より徒歩20分 

学文路天満宮は、第七十五代 崇徳天皇の天治元年(1124年)紀伊国伊都郡南馬場村の今の地に創建されました。明治六年(1873年)には、菅原道真公(天満大自在天神)を主祭神として、村社、旧学文路内五十五柱の神々を合祀し、現在に至ります。学文路天満宮は北野天満宮の分霊をこの地に移し、本殿ははるか都の北野天満宮に向かって建てられています。現在は、学問の神と崇拝される菅原公が祀られているため、受験シーズンになると、近畿各地から受験生やその保護者の方々が参拝に来られ、絵馬に合格を託しては合格のお札参りに来られる方で賑わいます。

安藤真司

安藤 (神奈川県三浦郡)葉山町には25年前に東京から越してきました。最初は海沿いの小さな家に住んでいたのですが、娘も大きくなって手狭になったので、2年半前に同じ町内の山沿いの家に越してきました。

—葉山町は別荘地・保養地として有名ですが、景観的に鎌倉に似ていると思いました。

安藤 目の前に海があって後ろに山があって、海の見える高台には別荘が多く建てられていました。我が家は古い家なのですが、庭が少しありますね。引っ越した理由の一つに、自分の育てた植物をモチーフにしたいと思ったからで、竹藪を開墾して畑も作りました。

—岐阜で生まれ育たれ、大学から東京。そこから葉山に居着かれて。

安藤 東京にいた頃は、練馬区や板橋区に住んでいました。大学自体には結構長くいましたね、卒業後も助手として6年、講師として4年いました。大学を辞める時に、就職するわけじゃないから、制作するのに良い環境の場所を探し、葉山を見つけました。あと、実はヨット部だったんです。東京藝大ヨット部。軟弱な部だったし、今はもう廃部になりましたけど。

—森や山のイメージが強かったので、海の趣味を持たれていたのは意外です。

安藤 ヨット部時代は、逗子から横須賀方面に車で30分ぐらいのところにある佐島にヨットを置いて練習していました。だから、この葉山町周辺は全然知らない土地というわけではないんです。運良く、ちょうど家を探している時に、知り合いが葉山から引っ越すというので前の家を紹介してくれたんです。

—ずっと山の子だった反動なんでしょうか。生まれの岐阜県可児郡は内陸ですもんね。

安藤 今は山も海も好きです。普段の生活の中に海があるのは気が晴れます。森戸海岸から自宅近くの山にかけて、毎日1時間は散歩していますね。家で制作していると運動不足になるし、作品のモチーフになる植物や木の実を拾ったりしながら歩いています。今まで、葉山は制作するところであって、発表する場という考えはなかったのだけど、葉山町で発表し発信してゆくのも良いのかなと思い始めてきました。というのも、葉山町周辺は芸術家が多く住んでいて、年に一回、葉山芸術祭という催しがあるんです。期間は5月のGW前後、芸術祭の参加者はオープンハウスにして作品展示をして、僕は今年初めて参加しました。以前住んでいた海岸近くの家を、今の借主さんから3日間借りて展示したんです。すると町内だけではなく、外からも来られる人がとても多く驚きました。芸術祭で知り合った何人かで、フランク・ロイド・ライトの弟子の遠藤新が建築した加地邸を借りてグループ展をしましたし、葉山には名建築の建物がまだ残っています。そういう風に、葉山の作家だけで葉山で展示をして、外から人を呼ぼうという試みを今年から始めました。

—他の作家の方も、町外から移り住まわれたのですか?

安藤 全員そうです。みんな外から葉山に越してきた作家たちですね。

—土地や街に愛着が生まれるんですね。

安藤 そこが葉山の魅力かな。住んでみると、ずっと葉山に住んでいたいと思います。自分のテーマの核はやはり「自然」なので、それじゃ、実家のある岐阜には両親もいて自然も豊富、生まれた田舎で制作すればいいじゃない、なんていうことも言われるけど……でも、まだまだ東京の近くにいないと、仕事がもらえないことが多いです。もっと有名になれば別でしょうけど。発表の場に関しては、全国いろんな場所で展示させてもらっています。繁華街にある画廊さんもあれば、駅から随分と離れていて、迷いながら、やっとたどり着くような画廊さんもあります。ヒロ画廊さんも奥まった場所にありますね。

—その分、お気に入りの作品を見つけられた方々はゆっくり滞在されますね。

安藤 地方にある画廊さんってそうですね。ギャラリーのご主人とひと喋りして、近況なんかを話して、気に入った作品があれば予約されて。

—では、お庭と隣接した畑を見せてもらっていいですか。こぢんまりとした敷地に、作物の種類が豊富ですね。

安藤 夏だから、ナスにピーマン、オクラ、インゲン、キュウリ、トマト……。あと、こちらの夏ミカンの木ですが、葉山にはこの木がとても多いんです。天皇がご結婚されたのを記念して、町民に夏ミカンの苗を配ったんだそうです。葉山には御用邸がありますからそういう行事をしたのでしょうね。花だと、まずは自分の好きなものを植えています。木蓮、紫陽花、白木蓮、芙蓉、藪椿、小手毬……お店に行って、その時期の好きな植物の苗を買ってきて庭に植えています。

—毎日の生活サイクルですが、朝は早いのですか。

安藤 朝4時ぐらいから絵を描きだして、気分転換に畑をしたり、山や海辺まで散歩したり。その分寝るのも早いです。ずっと描いていると、集中力が続かなくなってしまうから、散歩したり畑をしたりして、スイッチを切り替えています。山が近くにあるので野鳥や昆虫も多いですね。あの辺りに飛んでいるのは全部アオスジアゲハ。

—翅が青いの、遠目でもぼんやりとわかりますね。

安藤 アオスジアゲハはネズミモチの花が咲くといつも何十匹と集まって来ますね。畑の奥にはコウゾが生えていて実がなると鳥が食べに来て、巣箱を木にかけたら、すぐにシジュウカラが巣を作ってくれましたよ。じゃあ、ちょっと海まで歩きましょうか。普段、運動してる?

—してないですね。運動じゃないですが、歩くぐらいです。

安藤 僕も歩くだけです。

—でも、歩いていたら、頭の中のアイデアがまとまったり、モヤモヤが消えていく気がします。

安藤 それはあります。そのために歩いているとも言えるかな。今まで沢山の植物を描いてきましたが、その背景には野山を歩いていて出会った場面が必ずあるんです。自然はいろんな表情を見せてくれるから、歩いていて楽しいですね。私の作品の中には、美しさや可憐さだけではなく、不思議さや妖しさが潜んでいると言われるけど、それは、植物のいろんな表情を描いているからだと思います。花の盛りの頃の美しさだけでなく、萎れて枯れてゆく植物にもその時だけの色彩の美しさ、形の面白さがあるから。もちろん作品を気に入って下さる方の中には、純粋に植物の好きな方も多いです。

—岐阜の田舎で育たれ、植物や花を描かれて、と観る方々は一貫性のある物語を作りやすいと思います。

安藤 一概に原体験のイメージだけがずっと続くとも言えないけど。でも僕自身は岐阜の田舎で育って、子どもの頃からよく釣りをしたり、昆虫を捕まえたり、季節の野草や木の実を拾ったりしていて……その影響が今の作風には相当色濃く出ていると思います。あと、今の人たちは言葉にしてほしいのかな、コンセプトを要求される機会は増えましたね。でも、言葉にしちゃうと「あぁ、そうか」ってその意味だけに捉えられてしまうから、それも嫌ですね。

—大事にしていることって、かえって言葉にしづらいですよね。でも今日歩いてお話しを聞いて、こうやって大人になられても変わられていないですよね。

安藤 変わってないかな。ところでこの写真、3日前に海岸を散歩していて見つけたんですけど、打ち上げられたウミガメ。頭は砂に埋まっているのかな……きっと腐っているだろうから掘るのは躊躇して撮影するだけにしておいたけど(笑)。でも、今日みたいにこうして歩いていると時々見つけるんですよ。

森の記憶 36.5 x 52.7 cm エッチング

[略歴]
安藤 真司 Ando SHINJI
1960 岐阜県生まれ
1987 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻 卒業
1989 東京芸術大学大学院美術研究科修士 修了
1989 東京芸術大学版画研究室助手(〜94)
2005 東京芸術大学非常勤講師(〜08)
2010 文化庁在外研修員としてアメリカ滞在(〜11)

-収蔵-
東京国立近代美術館
町田市立国際版画美術館
滋賀県立近代美術館
大阪府立現代美術センター
高知県中土佐町立美術館
ティコティン日本美術館(イスラエル)
Los Angeles County Museum of Art (U.S.A)

綿引明浩

—作家・綿引明浩さんのヒロ画廊での個展に際し、埼玉県吉川市にある綿引さんのアトリエと、同県越谷市にあるギャラリー恵風で開催されたワークショップを訪れました。

綿引 今回の展覧会はクリアグラフ技法の作品が中心になります。近年の大きなテーマが「自然と人の調和」で、里山風の舞台に大きな一コマ漫画が広がるような、大きな世界を表現しています。

—その前は、「バベルの塔」「ネーデルランドのことわざ」や歌川国芳の浮世絵といった、古今東西の名画の中を「キャスト」と呼ばれる登場人物たちが旅する「イリュージョン」のシリーズでした。(1階が仕事場のアトリエで、2階が生活スペースのご自宅の中は)シンプルで余計なものは飾られていないですね。インスピレーションの源泉になる作品や資料を側に置く作家さんもなかにはいらっしゃいます。

綿引 私は置かないですね。結婚祝いに友だちが作ってくれた白いカラスの彫刻ぐらいです。

—余計なものを置くと気が散りますか?

綿引 気が散るというより、妻が何も置かない生活を演出してくれているのが大きいです。インスピレーションという点では、基本的に30何年間、絵の題材や描くテーマは何ひとつ変わっていないですね。描き方や展開の仕方も変わっていないです。手法だけは変わり続けていますが、版画やって、絵をやって、立体やったり、ガラスとコラボしたり、今はアニメーションを始めましたし。「メディア」を変えているだけですね。自分にとって、メディアは「おもちゃ」みたいなものなんですよね。新たな手法を取り入れて、その新鮮さを楽しむ感じで。キャラクターの性格や動き……子どものなかから持っているイメージがメディアを変遷しつつも、動いているだけですね。

—観賞される方にとって、綿引さんの作品の見方、楽しみ方というものはあるのでしょうか。

綿引 (作品に関しては)自分自身が遊んでい雰囲気を、観る方には感じてもらえれば、楽しさはより伝わるのかなと思っています。ただ、日本の職人的な価値観が尊ばれる社会だと「遊んでいると真面目にやっていない」と思われるわけですよね。逆に「時間をかけた」「苦労しました」という思ってもないことを言動で示す必要があったりね。でも、自分としては、楽に描いている方が自然なので、構えて気を引き締めてアトリエに降りて「さぁ、仕事しよう」とやるよりは、生活スペースの2階でも気が向いたら仕事をするか、という具合です。ドローイングの作品ですと、テレビで映画を観ながら描いていますね。移動中の電車内でもスケッチブックに絵を描いたりしています。

—生活と制作のスイッチの切り替えが要らないということでしょうか。そもそも、スイッチ自体が無い?

綿引 無いのかな。たとえば、車の免許は持っていないですね。というのも、車の運転をしてしまうと、アイデアや考え事で気が散って事故を起こすかもしれないですからね(笑)。

—綿引さんは、全国展示リトルクリスマス「小さな版画展」においても、ヒロ画廊では予約が集中する作家のお一人です。

綿引 版画は普段から、完璧主義に陥らないようにしています。そうなると、必ず転んでしまいますね。よからぬ方向に行くというか……なので、毎回の版画制作では60点を目指しています。次の作品では、その60点をに70点にしていく作業を心がけています。そうすると、必ず洗練されていくんですよ。というのも、長年の作家活動で、洗練されていくさまを自分自身で客観的に観ているので、100%は初めから求めていません。版画は1枚の版から複数枚の作品が仕上がる技法と捉えられますよね?けど、私としては作品を反復出来る技法とも考えています。繰り返繰り返しし作って洗練させていくことが大事ですね。

—綿引さんは、全国で展示活動を展開されていますが、展示会を通じて都会と地方の違いは感じられていますか。

綿引 経済的・精神的な余裕の違いはそれぞれ感じます。都会に住まわれる方は、経済的に余裕があっても時間的な余裕が妙にないというのかな。アートは、たしなみや趣のある場所と時間でより活きるわけですが……都会に住まわれている人はその余裕が減っている様な気がしています。語弊があるかもしれませんが、いわゆる「地方」に住んでいる人々の方が、ゆったりとした時間の持ち方をされています。地方の場合だと、積み重なった歴史と地域に沿った文化や風土があって、その上に限られた画廊やギャラリースペースに人と情報が集約していきます。けど、東京はそうではないので方向性が定まらないのでは、と感じています。そういった人々の傾向に沿うように、東京のギャラリーは海外のアートフェアに関心が向いています。自分の展示会の成果としては、広島、大分、ヒロ画廊もそうですし、地方の街で手応えを感じています。

—地域の話しですが、ご自身の生まれは茨城県水戸市、大学は東京、今のお住まいは埼玉、それぞれ居着いた場所への愛着というものはありますか。

綿引 地元の茨城では2年に1回の展示会もしていますし、両親も健在ですので多少の愛着はあります。でも、男三兄弟の末っ子というのもあり、特段「地元に戻ろう」という気持ちはないですね。かといって、東京に住みたいか、ということはないです。もっと年を重ねたら温泉のあるところに住みたいですね(笑)。

—(笑)。

綿引 ヒロ(店主・廣畑政也)さんは、たまに農業もしつつ画商をしているわけでしょう?それは、とてもかっこいいことだと思います。

—かっこいい?

綿引 そうですよ、絶対。やっぱりは、農業は日本人の魂なんだと思うようになって。というのも、自分が住んでいる埼玉県吉川市だと、お勤めされているご近所の方は、田畑を借りてまで土日に農業をこなされます。単純に稲や種を自分で植えれば、その成長が楽しみになるし収穫には喜びも生まれる。それが精神衛生上、とても良いみたいです。自分の場合だと、農作業とまではいかないけど、庭では薪を割って、家に暖炉と煙突があって暖を取れたら……いずれそういう生活が出来れば理想だなと思えるようになりました。20代の頃は、そんな畑や暖炉なんて……って感じだったんだけど、そういう風に人間は「還る」のだなと、最近は思います。

—還る?

綿引 そうそう。面倒なことを削ぎ落として、一見「合理的」に生きてきた人は、次第に「非合理的」なことに魅力を感じて、人生の帳尻を合わせるというのかな。でも、その方が良いですよね。

—その人生を作家活動に費やされている綿引さんですが、お客さんや観られる方々との関係性を普段からどのように捉えていますか。

綿引 作家活動を長いこと続けていると、ギャラリーにずーっと見に来るだけの方も中にはいらっしゃいます。そんな関係が10年ぐらい続いて、やっと1万円位の版画を買ってくれて、その後すぐに1点ものの作品を買ってもらって「お客さん」になってくださる方もいます。当然、毎回買って下さるという方はほとんどいないわけです。ほかには、学生のときに私の絵を見ていてくれて、その時はまだ買えなかったけど、稼ぐようになられてゆとりが出来て「買います」という方もいらっしゃいます。

—そういうお付き合いが出来るというのは、綿引さんの根っこにメンタルのゆとりがあるからでしょうか。というのも、社会生活にはお金と数字が付いて回ります。売上や入場者数などこなすべきノルマ、作家や展示会自体に「ブランド」が出来て、審美とはかけ離れた価値が先行してしまうケースも往々にしてあります。

綿引 自分の場合は、ゆとりというのかな……ただ「(観る人が)自分の絵をどうやって楽しんでくれるだろう?」というのがあって。はじめの繰り返しになりますが、自分は「こう観てください」という指南はしないですしね。あとは、その方の人生の節目、就職・結婚・新居といったイベントに自分の絵が収まってくれるのは本当にうれしいですね。そのように、世の中に美術を愛好して下さる方々というのは、少ないながらも確実にいるので、ビジネスとして成立すればそれはそれでいいですし、自分の一番の根っこには、(アートに)たくさん出会って、おもしろがってくれたらいいや、というのがありますね。

—最後に、綿引さんの作品のなかでは「キャスト」と呼ばれる登場人物たちが思い想いに作品内を駆け巡ります。観る人にとっての「ストーリー」の必要性、物語の役割は普段からどのように考えていますか。

綿引 受け手がどう感じるか、ということですね。私の場合は、自分が考えることは強要しないし、必要以上にストーリーは考えていますが、それを文章にして本などにすることはないし、自分の制作のテンションを上げるための道具としての「ストーリー」でもあるわけです。はじめに話した「おもちゃとしてのメディア」と同じ考え方ですね。お客さんに当然質問されれば答えますが、必要以上に言う必要もないと思っています。あと、長年全国で展示の数はこなしてきましたが、ヒロ画廊では、特別な空間と時間が流れています。確かにアクセスの良さやかっこいいな空間も大事かもしれないですが、画廊にはオーナーの人柄に沿った方々が集まりますよね。私としては自分の作品をヒロさんのイメージの上で解釈して、お客さんに伝えてくださっても問題ないです。最終的には、自分の魅力を感じてもらえる、自分にかかわる人を信じていますから。

Bulbul~夜空の丘~ 39 x 51.5 cm クリアグラフ

[略歴]
綿引 明浩(わたびき あきひろ)

1984  東京藝術大学美術学部首席卒業 買上賞
1984  第2回西武美術館版画大賞展 優秀賞
1986  東京藝術大学大学院修了
1987  現代の版画 松涛美術館
1990  アートは楽しい ハラミュージアムアーク
1993  今日の水戸の美術 茨城県立美術館
1999  リュブリアナ版画ビエンナーレ
2002-3 文化庁芸術家海外派遣 スペイン
2004  西方見聞録 渋谷東急文化村ギャラリー
2005  DOMANI 損保ジャパン美術館
2006  空想図鑑 船橋アンデルセン公園美術館
2008  台北アートフェア
2011  KIAF 韓国国際アートフェア
2013  新島国際ガラスアートフェアー
2014  釜山アートショウ
2015  さかさまの絵画 常陽資料館

<作品所蔵>
東京藝術大学資料館
原美術館
東京国立近代美術館
茨城近代美術館
水戸博物館
カナダ アルバータ州立大学
新島ガラスアートミュージアム