萩原榮文

ヒロ画廊 代表 廣畑政也(以下、廣畑) 萩原先生の作品を初めて拝見したのは、ヒロ画廊を創業する3年前の1994年、橋本市内在住の方の応接間でした。作品を見て「マチエールがとてもきれいな作家ですね」と、その方と語らった記憶があります。「近くで油絵をされている萩原先生の作品です」と、ご紹介いただいて。

萩原榮文(以下、萩原) その方は中学校の教員をされていましたが、志に沿われて医学部に進まれてお医者さんになられた、努力の「先生」です。大事にしていただきました。

画家 萩原榮文

廣畑 先生のご略歴を改めて拝見しますと、武蔵野美術大学で麻生三郎(1913-2000 東京都出身・画家 武蔵野美術大学名誉教授)さんから大変影響を受けられています。そのほか、三雲祥之助(1902-1982 京都府出身・画家 武蔵野美術大学教授)さんなど、当時の著名な先生方に萩原先生は指導を受けられています。学生の頃、林武(1896-1976 東京都出身・洋画家 東京藝術大学美術学部教授)さんに評価を受けて驚いたことがある、という話もありましたね。

萩原 在学中に学内であった批評会で、私の作品を絶賛していただいたことがありました。大学一年生のときでした。気になった作品を助手に運ばせて、講堂に一堂に並べて、私の作品が目に留まったようで「この作家は将来大いに期待できる」と言っていただき、今でも心に残っています。今思うと林先生に師事してついて行ったら、画家としてもっと有名になったかもしれませんが……私は麻生三郎の作品と生き方が好きでしたからね。

学生当時、林武に評価を受けた作品。
【売約済】萩原榮文「静物」(油彩画・作品サイズ F12・制作年 1954年)


廣畑 萩原先生のことなので、学生時代は無我夢中でペンを取られていたと思うんです。30年前に初めて拝見した作品が、マチエールは麻生三郎と共通したものがあって「稀有な作家がいてる」と当時の私は記憶していました。

萩原 森芳雄(1908-1997 東京都出身・画家 武蔵野美術大学教授)先生にもご指導を受けました。ずいぶんと叱られましたけど。「こんなこと描いてるなら、お前は田舎へ帰れ」なんて言われて。

廣畑 今の時代、そういう風に学生さんと接すると親御さんからクレームが入りそうですが……。

萩原 晩年は「そんなこと言ったけ?」と言われておられましたが(笑)。

ギャラリーとアトリエを兼ねた萩原の自宅

廣畑 さて、萩原先生にとって「絵を描く」ということ、美術表現とはどういうことなのでしょうか。

萩原 (しばらく黙り込まれ)……単に絵が好きだから描いてきた、ではないんです。自分の生き方そのものを表現したい、その手段が「絵」だったと思うんですよね。だから風景や景色を捉えても「綺麗だから」「印象に残るから」描く、ということは一切なくて。自分の内側から出せるものをモチーフに選んで、私は絵を描き続けてきました。

廣畑 萩原先生の個展は、ヒロ画廊では初めての開催で、画業を回顧いただくラインナップです。「奈良の五條に、こんな洋画家がいるんだ」ということをより伝えないといけませんからね。

萩原 榮文(はぎはら・えいぶん)
1935 奈良県五條市に生まれる
1953 奈良県展に受賞
1955 自由美術協会展初入選
1957 初個展 於 吉祥寺
1958 武蔵野美術学校西洋画卒業(現 武蔵野美術大学)以降、麻生三郎氏に師事
2002 萩原榮文回顧展 於五條市立五條文化博物館
2010 平成遷都1300年記念事業
2010 萩原榮文鬼展 開催
2010 藤岡家住宅(奈良県五條市)
2010 東京鬼展 奈良まほろば館(東京日本橋)

学文路天満宮

ヒロ画廊 代表 廣畑政也(以下、ヒロ)今日、菅野さんにお話しを伺うにあたって、学文路天満宮の歴史を改めて調べましたら、建立から900年も経っているんですね。それだけ歴史のあるスポットとなると地域の中でも少ないですよね。地域の方々にとったら、子どもたちの七五三でまずお世話になるのもこちらですし、馴染みのある場所です。この10月も正遷宮がありますが、正遷宮委員会地区役員として微力ながらお手伝いさせていただきました。その際、実行委員の方々にお話しを色々と伺いましたら「こういう時代だから、自分たちから下の世代は天満宮に馴染みが薄いのも仕方がない」という声もあった一方で、驚いたのが天満宮の氏子崇敬者である各地区(学文路・南馬場・西畑・清水・賢堂・向副・横座)の方たちが氏子さんとして非常に協力的でいらっしゃることです。

学文路天満宮 菅野一三(以下、菅野)本当にありがたいことです。近隣のお宮さんを取り巻く状況ですと、橋本市と伊都郡で現在64社の神社があります。その中で「宮司」と肩書きのある方は11名いらっしゃいます。1人で数社の宮司を兼務されている方も少なくはありません。最寄りの天満宮ですと、和歌山市の和歌浦天満宮になります。ですので、遠方からお参りくださる方は多いです。最近ですと、2017年に鍋谷峠道路が開通しましたので、泉南からお出くださる方も増えてまいりました。電車ですと、10年前に阪神電車がなんば駅に乗り入れたこともあって、兵庫県からお出でになる方もいらっしゃいますね。

(写真 左)ヒロ画廊  廣畑 政也(ひろはた まさなり)

ヒロ 学問の神様・菅原道真公を祀られていますが、南海電鉄とタイアップされた、合格祈願の入場券や「すべらない砂」もずいぶん長く続いていますよね。

菅野 もう30年以上経ちますね。参拝者の声を聞いておりますと……合格祈願の入場券は学文路駅で買いたいという方が多いように感じています。

ヒロ 学文路駅も無人駅になっていますし、入場券自体は学文路駅では販売していなくて、近くの主要駅である橋本駅などで皆さん購入されていますね。

菅野 せっかくだから、学文路駅に入場して、駅員さんから買って、学文路駅に「入って」買いたいそうです。入場券を購入されたその足で、天満宮に寄られる方々は非常に多いですね。

ヒロ アクセスという点ですが、ヒロ画廊も繁華街にあるわけではありませんし、大きな駅の近くでもないですし、通りすがりではまず入ってこられません。天満宮も近年ですと、紀の川フルーツライン(紀ノ川左岸広域農道)から来ることも出来ますが、大多数の方は下道から来られると思いますし、決して利便性のよい場所にある神社、というわけではありません。

菅野 その分、出来る限りの美しさを保つように努めています。ありがたいことに「きれいで気持ちが良い」と言って下さる方も多いです。

ヒロ 「心のよりどころ」と言ったら大げさかもしれませんが、神社の役割のひとつには違いないですよね。少なくとも私は、小さい頃から「天神さん」と呼んで距離の近い感覚があります。画廊に遊びに来られる方で受験生のお子さんやお孫さんを持たれていらしたら、学文路天満宮は話題になるスポットの一つです。

菅野 「ここに来たら、ホッとする」と言っていただくことが、一番ありがたいですね。お宮さんの役割のひとつは、自分の心を整える場所であることには違いないです。たとえば、学文路天満宮もそうですが、どこの神社でも鏡が置いてあると思います。鏡を通して神様と自分が向かい合い、清らかな心でお参りをする、そんな役割も鏡は担っているのです。参拝してもらって、何かしらの心の栄養を蓄えてもらえれば、とは思っております。絵画もそうですよね。

ヒロ 規模や歴史も、私どもと天満宮さんは全く違いますけれども、「ホッとする」「元気になる」という点では、共通すると思います。私たちの仕事は、美術作品を紹介する仕事ですが、絵や美術品となると投機の対象として紹介したり捉える方も中にはいらっしゃいます。ですが、私どもとしては、生活に少し潤いが出れば、というスタイルです。お宮さんのように、静寂な空間があることで地域を潤す、ことと少しは共通しているのかなと思います。

菅野 最初に触れていただいた正遷宮ですが、今回が約40年ぶりです。このたびの正遷宮に際し、みなさまのおかげで天満宮を美しくしていただきました。これを維持し、次代に繋げる責任感も一層大きくなりました。

ヒロ 私は、役回りも含めて、菅野さんにこのように改めてお話しを伺えて、何かのご縁なのかなと今では感じています。

学文路天満宮 菅野 一三(すがの いつぞう)宮司

学文路天満宮
〒648-0044 和歌山県橋本市南馬場821−1
TEL 0736-32-5582
ヒロ画廊より徒歩12分 南海高野線 学文路駅より徒歩20分 

学文路天満宮は、第七十五代 崇徳天皇の天治元年(1124年)紀伊国伊都郡南馬場村の今の地に創建されました。明治六年(1873年)には、菅原道真公(天満大自在天神)を主祭神として、村社、旧学文路内五十五柱の神々を合祀し、現在に至ります。学文路天満宮は北野天満宮の分霊をこの地に移し、本殿ははるか都の北野天満宮に向かって建てられています。現在は、学問の神と崇拝される菅原公が祀られているため、受験シーズンになると、近畿各地から受験生やその保護者の方々が参拝に来られ、絵馬に合格を託しては合格のお札参りに来られる方で賑わいます。

カントリーサイド

グラハム・クラーク作品を店内に飾られている、和歌山県橋本市のベーカリーカフェ・カントリーサイドさん。店長の奥さま・冷水さんにお話しをうかがいました。

—ヒロ画廊に来ていただいたきっかけというのは?

冷水 国道370号線の大きい道路から画廊に行く角に看板が立っているじゃないですか、あれでずっと気にはなっていました。息子のサッカーの送迎で約4年間、週4日は看板の前を車で通っていて「今、誰の展示をしているんだろう?」って。なかでも、クラークさんの文字が印象的で「1度は見てみたいなぁ」とずっと思っていて、一昨年に初めて伺いました。それまでは、画廊って「なんか高尚な世界で縁が無いのでは」と思っていましたが……行ってみるとホッと出来たり、絵の細かい説明を聞けるんだなぁ、って。だから、最初はヒロさんが描かれている看板の文字に興味が引かれて行きましたね(笑)。

—店内奥の左側に「りんごの散歩道」、右側には「ジョージ&ドラゴン」を飾られています。

冷水 最初はヒロさんが店内のバランスを考えた高さで取り付けて下さったのですが、しばらくして店長が「描写のしっかりした絵だから、もう少し下げてお客さんにじっくり見てもらいたい」と言って、その後に少しだけ高さを下げたんですよ。というのも、パンを注文されて待たれたり、カフェを召されて座っているお客さんが「こんなところにこんな動物がいる」なんて絵の描き込みをしっかり見て下さっているんですよね。あと、最近は、高野山に行かれる観光客の方や外国人の方も橋本駅で降りられて、お店に立ち寄られることが増えてきたんですよね。そうすると、海外の家族連れの方がクラークさんの作品をご存知だったみたいで、ご家族で盛り上がったりされて……こういうこともあるんだなぁ、としみじみ思いました。

—それまでに絵画作品を購入されたご経験は?。

奥さま 今までなかったんですよね。インテリアとしてポスターを貼ることはありましたが……。 本当に「絵画なんてとても……」という感じだったんですがクラークさんには惹かれました。でも店内に飾って、たくさんの方に見ていただけるっていうのは、本当にありがたいんですよね。私たちもすごく気に入って店内に入れた作品に共感していただけるのは。今まで全く話したことのないお客さんにも、「この作風、どこかで見たことあるわ」「この絵、クラークさんでしょ」って言われますね。

—カントリーサイドさんは、今年の5月で創業30年を迎えられました。

冷水 お店の業態としては、「パーン!」と盛り上がる体制ではなくて、一時的に上手くいったものでも改良して、30年コツコツと毎日を積み上げてきたから続けてこれたのかなと思っています。

—シュガースティックやベーコンエピは子どものころから好きでよく食べています。

冷水 シュガースティックは創業当初からあるので……そう考えると30年も同じ商品があることになるので、それはすごいことなんだと思うようになりました。最近では、近くの高校に通われていた方で、お子さんを連れて親子二代で来られるお客さんもいらっしゃるようになりました。「お母さん、高校の頃ここに来ていたのよ」って言って、小学生のお子さんを連れてパンを食べて、お茶を召されてゆっくりされていって。そういう時の流れというのは……うれしいですよね。そんな場所にやっとなったんだな、って思えるようになりました。自分がずっと気に入っていたお店でも久々に行って無くなっていたりすると、当然さみしいじゃないですか? だから、30年続いた今年……行けるところまで頑張りたいと今は思っていますね。

カントリーサイド
〒648-0065 和歌山県橋本市古佐田2-4-19
TEL 0736-34-1451
ヒロ画廊より車で7分 南海高野線 橋本駅より徒歩1分

無添加の国産小麦と天然酵母にこだわり、体にやさしい安心して食べられるパン作りを心がけられています。2017年5月で創業30年を迎えられました。

安藤真司

安藤 (神奈川県三浦郡)葉山町には25年前に東京から越してきました。最初は海沿いの小さな家に住んでいたのですが、娘も大きくなって手狭になったので、2年半前に同じ町内の山沿いの家に越してきました。

—葉山町は別荘地・保養地として有名ですが、景観的に鎌倉に似ていると思いました。

安藤 目の前に海があって後ろに山があって、海の見える高台には別荘が多く建てられていました。我が家は古い家なのですが、庭が少しありますね。引っ越した理由の一つに、自分の育てた植物をモチーフにしたいと思ったからで、竹藪を開墾して畑も作りました。

—岐阜で生まれ育たれ、大学から東京。そこから葉山に居着かれて。

安藤 東京にいた頃は、練馬区や板橋区に住んでいました。大学自体には結構長くいましたね、卒業後も助手として6年、講師として4年いました。大学を辞める時に、就職するわけじゃないから、制作するのに良い環境の場所を探し、葉山を見つけました。あと、実はヨット部だったんです。東京藝大ヨット部。軟弱な部だったし、今はもう廃部になりましたけど。

—森や山のイメージが強かったので、海の趣味を持たれていたのは意外です。

安藤 ヨット部時代は、逗子から横須賀方面に車で30分ぐらいのところにある佐島にヨットを置いて練習していました。だから、この葉山町周辺は全然知らない土地というわけではないんです。運良く、ちょうど家を探している時に、知り合いが葉山から引っ越すというので前の家を紹介してくれたんです。

—ずっと山の子だった反動なんでしょうか。生まれの岐阜県可児郡は内陸ですもんね。

安藤 今は山も海も好きです。普段の生活の中に海があるのは気が晴れます。森戸海岸から自宅近くの山にかけて、毎日1時間は散歩していますね。家で制作していると運動不足になるし、作品のモチーフになる植物や木の実を拾ったりしながら歩いています。今まで、葉山は制作するところであって、発表する場という考えはなかったのだけど、葉山町で発表し発信してゆくのも良いのかなと思い始めてきました。というのも、葉山町周辺は芸術家が多く住んでいて、年に一回、葉山芸術祭という催しがあるんです。期間は5月のGW前後、芸術祭の参加者はオープンハウスにして作品展示をして、僕は今年初めて参加しました。以前住んでいた海岸近くの家を、今の借主さんから3日間借りて展示したんです。すると町内だけではなく、外からも来られる人がとても多く驚きました。芸術祭で知り合った何人かで、フランク・ロイド・ライトの弟子の遠藤新が建築した加地邸を借りてグループ展をしましたし、葉山には名建築の建物がまだ残っています。そういう風に、葉山の作家だけで葉山で展示をして、外から人を呼ぼうという試みを今年から始めました。

—他の作家の方も、町外から移り住まわれたのですか?

安藤 全員そうです。みんな外から葉山に越してきた作家たちですね。

—土地や街に愛着が生まれるんですね。

安藤 そこが葉山の魅力かな。住んでみると、ずっと葉山に住んでいたいと思います。自分のテーマの核はやはり「自然」なので、それじゃ、実家のある岐阜には両親もいて自然も豊富、生まれた田舎で制作すればいいじゃない、なんていうことも言われるけど……でも、まだまだ東京の近くにいないと、仕事がもらえないことが多いです。もっと有名になれば別でしょうけど。発表の場に関しては、全国いろんな場所で展示させてもらっています。繁華街にある画廊さんもあれば、駅から随分と離れていて、迷いながら、やっとたどり着くような画廊さんもあります。ヒロ画廊さんも奥まった場所にありますね。

—その分、お気に入りの作品を見つけられた方々はゆっくり滞在されますね。

安藤 地方にある画廊さんってそうですね。ギャラリーのご主人とひと喋りして、近況なんかを話して、気に入った作品があれば予約されて。

—では、お庭と隣接した畑を見せてもらっていいですか。こぢんまりとした敷地に、作物の種類が豊富ですね。

安藤 夏だから、ナスにピーマン、オクラ、インゲン、キュウリ、トマト……。あと、こちらの夏ミカンの木ですが、葉山にはこの木がとても多いんです。天皇がご結婚されたのを記念して、町民に夏ミカンの苗を配ったんだそうです。葉山には御用邸がありますからそういう行事をしたのでしょうね。花だと、まずは自分の好きなものを植えています。木蓮、紫陽花、白木蓮、芙蓉、藪椿、小手毬……お店に行って、その時期の好きな植物の苗を買ってきて庭に植えています。

—毎日の生活サイクルですが、朝は早いのですか。

安藤 朝4時ぐらいから絵を描きだして、気分転換に畑をしたり、山や海辺まで散歩したり。その分寝るのも早いです。ずっと描いていると、集中力が続かなくなってしまうから、散歩したり畑をしたりして、スイッチを切り替えています。山が近くにあるので野鳥や昆虫も多いですね。あの辺りに飛んでいるのは全部アオスジアゲハ。

—翅が青いの、遠目でもぼんやりとわかりますね。

安藤 アオスジアゲハはネズミモチの花が咲くといつも何十匹と集まって来ますね。畑の奥にはコウゾが生えていて実がなると鳥が食べに来て、巣箱を木にかけたら、すぐにシジュウカラが巣を作ってくれましたよ。じゃあ、ちょっと海まで歩きましょうか。普段、運動してる?

—してないですね。運動じゃないですが、歩くぐらいです。

安藤 僕も歩くだけです。

—でも、歩いていたら、頭の中のアイデアがまとまったり、モヤモヤが消えていく気がします。

安藤 それはあります。そのために歩いているとも言えるかな。今まで沢山の植物を描いてきましたが、その背景には野山を歩いていて出会った場面が必ずあるんです。自然はいろんな表情を見せてくれるから、歩いていて楽しいですね。私の作品の中には、美しさや可憐さだけではなく、不思議さや妖しさが潜んでいると言われるけど、それは、植物のいろんな表情を描いているからだと思います。花の盛りの頃の美しさだけでなく、萎れて枯れてゆく植物にもその時だけの色彩の美しさ、形の面白さがあるから。もちろん作品を気に入って下さる方の中には、純粋に植物の好きな方も多いです。

—岐阜の田舎で育たれ、植物や花を描かれて、と観る方々は一貫性のある物語を作りやすいと思います。

安藤 一概に原体験のイメージだけがずっと続くとも言えないけど。でも僕自身は岐阜の田舎で育って、子どもの頃からよく釣りをしたり、昆虫を捕まえたり、季節の野草や木の実を拾ったりしていて……その影響が今の作風には相当色濃く出ていると思います。あと、今の人たちは言葉にしてほしいのかな、コンセプトを要求される機会は増えましたね。でも、言葉にしちゃうと「あぁ、そうか」ってその意味だけに捉えられてしまうから、それも嫌ですね。

—大事にしていることって、かえって言葉にしづらいですよね。でも今日歩いてお話しを聞いて、こうやって大人になられても変わられていないですよね。

安藤 変わってないかな。ところでこの写真、3日前に海岸を散歩していて見つけたんですけど、打ち上げられたウミガメ。頭は砂に埋まっているのかな……きっと腐っているだろうから掘るのは躊躇して撮影するだけにしておいたけど(笑)。でも、今日みたいにこうして歩いていると時々見つけるんですよ。

森の記憶 36.5 x 52.7 cm エッチング

[略歴]
安藤 真司 Ando SHINJI
1960 岐阜県生まれ
1987 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻 卒業
1989 東京芸術大学大学院美術研究科修士 修了
1989 東京芸術大学版画研究室助手(〜94)
2005 東京芸術大学非常勤講師(〜08)
2010 文化庁在外研修員としてアメリカ滞在(〜11)

-収蔵-
東京国立近代美術館
町田市立国際版画美術館
滋賀県立近代美術館
大阪府立現代美術センター
高知県中土佐町立美術館
ティコティン日本美術館(イスラエル)
Los Angeles County Museum of Art (U.S.A)