坪内好子

ヒロ画廊のレギュラー作家として長年ご紹介している銅版画家・坪内好子さん。神奈川県鎌倉市内にある坪内さんのアトリエのそばには、ご主人でオーナーシェフの馬場周吾さんが切り盛りされるフランス料理店「ビストロ ラ・ペクニコヴァ」が隣接しています。馬場さんは、帝国ホテルのシェフとして20余年過ごされ、在スロヴァキア共和国日本大使館での勤務を経て、2011年に同店をオープンされました。 アトリエとレストランを訪れた後、北鎌倉のハイキングコースを南に抜けて、由比ガ浜をゴールにお二人と歩いてみました。

聞き手・構成・撮影=廣畑貴之


―鎌倉に移られてからお変わりなどはありませんか。

坪内 鎌倉に移ってからは狭いですがお庭が出来たので、庭いじりを始めたらすごく楽しくて(笑)。今の趣味はお庭の手入れとスイミングですね。越してきたときは庭には緑も何も無かったのですが、レストランへのアプローチと、家の周りのちょっとした部分をいじりはじめて。夫からは「もう暗いけど……」と呆れられるほど、日が落ちるまで庭にいることもしばしばです。あと、鎌倉に来てからは、健康維持と気分転換のためスイミングを始めました。今ではすっかりハマって、マスターズ登録をしてマスターズ大会に出たり、海の大会にもエントリーしています。

―それまでは港区にお住まいだったと聞いています。

坪内 はい。スロヴァキアに留学したとき夫と出会って、結婚を機に鎌倉に移りました。私としてはアトリエをそろそろ移したい時期でもありましたし、彼も独立を長年考えていました。お互い地縁は無かったのですが、漠然と「鎌倉なんて良いよね」と話していたところ、自宅兼アトリエ兼レストランを建てるのがベストという考えに至りました。レストランも2011年に始めて、もう丸6年になります。

―普段の時間の使い方ですが、制作とレストランの仕事、それに主婦業と趣味の時間で充実されていそうですよね。

坪内 レストランの仕事は思った以上に時間を取られていて、ほぼ一日中と言っても過言ではなくて……時間は限られていますがやりくりして作品制作をしています。アイデアややりたいこともいっぱいあって、本当はもっと集中しておもいっきり制作したいのですが、今は時間が圧倒的に足りません。スイミングも、もっと早く泳げるようになりたいですし、充電の旅もしたいですし、作品もバリバリ作りたいですし、自分がもう一人、二人欲しいですね。

―アトリエには他の作家さんの作品をたくさん飾られていますね。作家が作家性の強い作品をそばに置かれているのは珍しい気がします。

坪内 そうですか?では、このアトリエは他の作家さんのにおいがぷんぷんしているかもしれません(笑)。わたしはやはり版画が好きで、アトリエや部屋に飾ってある物もほとんどが版画作品です。お気に入りはリチャード・デイビスという物故の作家で、HIVにより1991年に46歳と言う若さで亡くなっています。名古屋の画廊さんで目にしてとても気に入りそれから少しずつ集めはじめました。ほかには、詩情あふれる温かな作風に惹かれて山中現さんが好きですね。私には作れない世界です。あとは、駒井哲郎さんも好きです。他にもスロヴァキア時代の友人が描いた作品に、姪が描いてくれた作品も飾っています。

―(壁一面の本棚を見て)これだけの本や資料というのは……。

坪内 資料であると同時に作業に行き詰まるとよく手にします。もともと古い本や古地図が好きでしたので、スロヴァキア留学時はアンティークヴァリアート(古本屋)に通い古本屋のおじさんとも仲良くなってたくさんサービスしてもらいました(笑)。また友人やお世話になった方からいただいた本もあります。

―留学されたきっかけというのは?

坪内 カーライ先生の緻密さやユーモアがありグロテスクな世界観に惹かれて、留学を決めました。緻密という点では、針で彫って描いていくのが仕事ですよね、銅版画家という仕事は。一連の作業の中、針で描いている時間が私は一番楽しいです。版の上で「描きすぎじゃないかな?」ってほど描き込まないと刷ったときに深さが出ないんです。

―深さ?

坪内 絵自体の重厚感とか奥行き、厚みというのでしょうか。私は描き込んで描き込んで絵の奥深さを追求したいんですよね。たとえば、気球シリーズのバルーン全体には細かく点描を施してあります。仕事をそこに入れておくかそうでないかというのは刷ったあとの仕上がりが全く変わってきますから。なにより、描き込みたいんです。線だけさっと引いて、色をフワッと入れて仕上げてゆく方法もあると思いますが……それでは私のなかの「やりたい」という欲求が満たされなくて。

―過去に仰った「版を刷るとき、版と対峙する時間を大切にしています」という言葉が心に残っています。

坪内 エディションナンバーが私の場合、大体95番までと比較的多いんですよね。最初に刷り出した版だと、自分の中でも初対面の方と会うような「あ、はじめまして……」という感覚があって(笑)。でも、長く付き合っていくと作品に対してなじみや愛着が出てきますね。

―作られる人だからこそ向き合える感覚ですよね。

坪内 そうかもしれません。特に版を刷る過程での愛着の湧き方というのは版画ならではなのかなと思います。

―(ご主人で、ラ・ペクニコヴァのオーナーシェフ・馬場周吾さんが合流)坪内さんは接客業にかかわるというのは初めてだったのでは?

坪内 会社勤めをしていた時、あるメーカーのショールームに籍があり少しだけ接客の勉強をしました。でも夫はそれに加えて私が寺で育ったことが活かされているのではと言います。

馬場 彼女の人当たりの良さというのは、レストランを切り盛りするうえでとても助かっていますね。というのも、お寺さんって色んな方が出入されるじゃないですか。彼女の性格は、多様な方々と出会っているからじゃないかと思います。

―ご主人の馬場さんは、スロヴァキア日本大使館付の料理人になられた経緯というのは。

馬場 長年勤めていた帝国ホテルが外務省とのかかわりがあるので、その一環で上司から提案されて、その場で「行きます」と即答しました(笑)。というのも、やっぱり外、特に外国へ行きたかったんですよね。特にスロヴァキアに行きたかったわけではなく、たまたまです。

―たまたま行った国で画家と知り合ってご結婚され、縁もゆかりもない鎌倉でレストランを開かれて……。

馬場 人生わからないものですね。

坪内 私もカーライ先生が当時教鞭を執られていたのがたまたまスロヴァキアでしたのでそこに向かったわけですから。

―(由比ガ浜に到着)波の音が気持ちいい……。坪内さんは強気で一匹狼のような方だとずっと思っていました。というのも、会派に属されてないですし、絵画教室を開かれているわけでもないなか、ネットワークや販路を作っていく必要がありますよね。

坪内 (会派や教室指導などは)自分の性に合わないというのもありますしね。型にはまることで(経済的な面など)安定することもあるのでしょうが……幸いお付き合いのある画商さんがみなさん熱心で現在制作が注文に追いつていないので、今はもっと作品を作りたいですね。

―坪内さんにはヒロ画廊オープンの頃から個展をしていただいています。

坪内 廣畑さんには作家活動の初期のころからお声をかけていただいていますが……ああいう裏表のない雰囲気の方が好きなんですよね。人柄が容姿ににじみ出ているというんでしょうか。作家としては安心して作品をお任せすることが出来ます。自分が年齢を重ね経験値があがってくると、仕事にかかわる人に対して見方が変わってしまう場合もありますけど、廣畑さんは昔から変わらないです。ヒロ画廊さんの半地下の包み込む空間も相まって、話しやすいお人柄に惹かれているお客様も多いのではないでしょうか。

―確かに、画廊では商談やお取引に加えてご自分にとって大切なことを話してくださる方が多いですね。

坪内 実家が寺院ということもあって、思いを伝えたり何かを吐き出すことの大切さというのはずっと身にしみていました。人が亡くなり家族の中で誰かが欠けるということは、それまでのバランスがどうしても崩れてしまいます。関係性もいびつになってしまったり、相続でも揉めたりなんだかんだして……。そういう話やシーンを子どもの頃から目の当たりしていると、吐き出せる場というのは本当に大切なんだなというのは実感しています。しかも、関係性や血縁がないからこそ吐露できる考えや思いというのはありますからね。

―ご主人の馬場さんからは坪内さんの画家という職業、作家の仕事はどのように映りますか。

馬場 月並みな言葉ですが……創造的だなと思います、自分1人でゼロな状態からモノを創り出していくというのは。あとは、ラ・ペクニコヴァの内装などは彼女のセンスが活かされていますので、彼女がいなかったら今みたいな形態にはならなかったですね。だから、夫婦ではありますが同志のようにも思っています。

―お二人とも本当に好きなことを仕事にされていて、ご自分の時間を大切にされているように感じます。

馬場 でもいくら好きなことを仕事にしていても、当然周りが求めるテイストや結果に応えないといけない、モノを作る人が必ず苛むジレンマがありますよね。私の場合「帝国ホテル」の料理というカチッとした伝統のブランドと規格に沿って料理を提供しないといけない、という意識とプライドが当然根付いていました。そういう「型にはまった仕事」の取り組み方は今のレストランのオープン後もしばらくは続いて「明日のコースだと、今からこの仕込みをしないといけない」から仕事時間が深夜まで続いていた時期もありました。でも、彼女の仕事ぶりを見ていると、自分が本当にやりたいこと、自分のスタイルを突き通していますよね。絵や仕事に対する自由さ加減というのかな、もっと自分の好きなようにやればいいんだと思えるようになりました。

坪内 私は逆に「(作家として)変わり続けないといけないのかな」と思っていた時期もありました。けれど、夫と暮らすようになって、仕事をともにすることで「このまま自然に任せて変わって行けばいいんだな」とありのままの自分を受け容れられようになりました。